自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

湯田中自転車紀行(4)/千曲川・信濃川・飯山線沿いサイクリング編(Apr-2018)

 高台の、今は機能していない国道から、信濃川の宮中ダムを見下ろしたとき、この飯山線沿いのルートを選択してよかったって実感した。雄大な川の周辺には河岸段丘の平地部に町が連なっている。国道117号とJR飯山線がそれらをつなぐ縫い糸のように、大河に並行する。背後を仕切る屏風のように魚沼山塊が横たわり、さらに空気が澄んでいるおかげか、八海山系や苗場山系の山々が、白い山稜を見せていた。完成されすぎていて、セットなんじゃないかとさえ思った。あるいは、ヴァーチャル・リアリティ。いやでもこれが本当のリアリティ、リアリズム。目の前にあるのは仮想現実の映像でも、美の究極を追及して作られたセットでもない、確固たる風景だった。
 究極の俯瞰。至高の佳景。

 

f:id:nonsugarcafe:20180428101416j:plain

 

 


「ナガさんは今日、どうするつもりですか?」
 バイキングの朝食を食べながら、幹事のHさんに聞かれた。
「やっぱり、飯山線沿いに走ってみたいって思ってます。昨日の晩に話したとおり」
「そうですかあ。いろいろつらいばっかりで見どころも少なくて、面白味なかったですけどねえ」
 Hさんはこの旅に一日早く入り、十日町から飯山線沿いに走って、野沢温泉での一泊をはさんでこの湯田中にやってきた。つまり僕はその逆ルートを行こうとしているわけだ。
「そうかもしれないですけど、ここまで来て走っておかないと後悔しそうでもあるし。ずっと温めていたんで。飯山線沿いは」
 昨年の飯山線鉄道旅で、車窓からずっと見ていたこの風景のなかを、自転車で走るべきだと実感したのだ。「それと、ラーメン食べたいなって思って」
「ラーメン?」
「長岡ラーメン」
「長岡? あれ? 長野じゃなくて、長岡……」
「そう、新潟県
「ああじゃあもう完全に向こう側に抜けちゃおうっていうんですね」
 向こうとは、北陸新幹線じゃなく上越新幹線ってこと。たぶんそういう認識。
 僕はうなずくと、横で食べていたKさんが
「それ、一緒に行ってもいいですか? 今日、ノープランなんですよ」
 といった。
「そうします? かまわないんですけど、なにも見どころを入れてないですよ。僕の場合、道を走るってだけを楽しみにしているので」
「オッケーですよ」
 そんなわけで、同行者あらわる。僕がひとりで走るつもりで考えていたルートなので、少し、不安である。
飯山線沿いかあ、それもいいなあ」
 と今度は向かいの席で食べていたAさんが、会話に反応した。
「あれ? Hさんたちと小布施で栗食べたり須坂で町散策したりするんじゃないんですか?」
「まあそれもいいんですけどねえ」
「嶺方はやめたのですね」
 ちらっとAさんがいっていた言葉を思い出して僕がいうと、
「今日はあっちはだめです。AACR(アルプスあずみのセンチュリーライド)やってて、帰りのあずさに乗れないですよ」
 とKさんがすかさずフォローを入れた。イベントにも詳しいから、多方面の情報を持っている。
「長岡までどのくらいですか?」
 Aさんが聞くので、ざっくりと、
「百キロちょっとですね」
 と答えた。
「じゃあ4時間で行っちゃいますね」
「いやいやいやいや……」
 僕は苦笑した。──いやいやいやいや。
 昨日の130キロを10時間以上かけているのだ。観光なし、食事休憩なしで。走りっぱなしでそれだけかかるわけだから、単純計算で8時間かかる計算だ。それにじっさい、そうだし──。


湯田中の駅までみんなで行きましょう」
 ひと晩お世話になった旅館をあとに、ほんのわずか、1キロにも満たないけれど、全員で走るサイクリング。温泉街の路地を下っていく。
 湯田中駅はかつて使っていた古い駅舎も残されていて、味のあるたたずまいが変わらずある。そこへ7人も並ぶと壮観だ。記念写真を収め、そのあと川べりに出て橋の上でもう一枚。
 この橋の上で別れることになった。
 ひとりで走るつもりでいたところが計4人。Aさんは結局、小布施・須坂ではなく飯山線ルートを選択し、前日どこぞの菜の花畑にツールボトルを置いてきてしまった(!)というSさんが、探しに行くのを兼ねて飯山まで一緒に行くことになった。


(本日のルート)


GPSログ

 

 


 出だしから角間川に沿っての下り。正面に北志賀の山すそ野を望みながら。美しい末広がり。中野へ向かう県道や長野電鉄の線路と分かれ、今度はその北志賀のすそ野に入っていく。じりじりと上りが続いた。
 そして、視界が開けた。
 末広がりのすそ野斜面に、背の低いりんごの木が上から見ると敷き詰められたようにある。遠くまで見通せる景色の中心に位置する、大きな大きな千曲川。奥の場違いなほど近未来感を放つ高架橋は北陸新幹線。ルートに飯山を選択した新幹線は、かつての信越本線を離れて飯山線に沿っている。それら広大な俯瞰図がここにある。
 おのおの思い思いに写真を撮る。そうしていると軽快な列車の走行音がかすかに聞こえた。飯山線だ。目を凝らすと、ちいさな気動車が、この大きな俯瞰図のなかを進んでいくのが見えた。僕はカメラを目いっぱい望遠に振って、写真に収めてみた。

 

f:id:nonsugarcafe:20180428101417j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180428101418j:plain


 北志賀のすそ野から下り、千曲川を横切った。渡ってみて大きさに驚いた。そして水量も。ついさっき俯瞰した大河は、身近にしてその大きさをあらためて感じる。これから一日、この川との付き合いが始まる。
 橋を渡ってすぐに国道117号との交差点、これを右折し十日町方面を目指した。
 しばらく国道117号を走ったのち、並行分岐する県道95号に移った。この道が、飯山線沿いに進む道。徐々に線路に近づき、ちいさな踏切で線路の反対側へと渡る。
「この辺で離脱します!」
 とSさんが隊列から離れた。昨日置き去りにしたツールボトルを取りに、菜の花畑へ向かうのだ。そのあとは小布施・須坂組に合流しようとしているらしい。見つかるといいですね、また走りましょう、そういって手を振って別れた。ちいさな集落の交差点を右に曲がったSさんは、低い塀の向こう側を離れていき、やがて見えなくなった。
 県道95号が飯山線の線路から離れるようにそれるところで、県道408号が分岐する。この道に乗り換えた。すぐに踏切を渡り、そこが戸狩野沢温泉駅だった。
「休憩にしましょう」

 

f:id:nonsugarcafe:20180428101419j:plain


 県道408号が、まさに僕が飯山線で鉄道旅をしたときに記憶していた道だった。よみがえるように思い出してきた。あのときは冬だった。冬の18きっぷを使って旅した。そのときに線路と雄大千曲川に挟まれた道を見つけた。そう、この道だよ──。絶対走ろうって思ってた道。やっと来たよ。
 大きな千曲川が左に右に蛇行する。道も、線路もそれにならって蛇行する。首都圏の大河川のようにスーパー堤防で護岸しているわけじゃないから、一直線な流れはひとつもない。これが千曲川の流れ、そういうことだ。
 基本的に千曲川の沿岸は河岸段丘の地形なので、段丘が迫るところでは一段上らされる。県道408号はかつての国道117号、古い道なのだ。鉄道はそんな急勾配は苦手だから、トンネルでかわしていく。上って、段丘から千曲川を俯瞰する。そして下る。鉄道がまた現れる。段丘に合わせて県道は一段下る。鉄道は下り勾配も嫌い、同じ高さを維持しようとする。だから姿を現しているときはたいてい、僕らより高いところを走っている。

 

f:id:nonsugarcafe:20180428101420j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180428101421j:plain

 

 


 ずっと走っていたいと思う道が永遠に続くならいい。
 そんなことはありえず、終りは必ずやってくる。それが、わりとすぐにやってきたりするのも低い確率ではない。
 県道408号は栄村の中心近くになると国道117号に吸収されるように終わった。ここからしばらく国道117号を走らなくちゃいけいない。
 でも幸い、日曜日だからだろう、大型車がきわめて少ない。
 JR飯山線に栄という駅はない。役場に近い中心地にある駅は森宮野原。
「この駅って最高積雪を記録した駅ですよね」
 とAさんがいう。
「さすが詳しいですね。そうです、森宮野原」
 飯山線はこの森宮野原から長野新潟県境を越えた津南までが最も僻境の区間といっていい。加えて、冬の豪雪はもちろん、それ以外の季節でも、特に夏から秋にかけて豪雨など、自然災害に見舞われやすく、そのたびに不通になる。長期的運休を耳にする機会が多い。
 国道117号を走っていると、飯山線は対岸にいる。トンネルも多く、見えないことも多い。もっとも国道117号もトンネルが少なくないので、飯山線の姿を認められない。


 津南まで来ると国道117号に並行する道が現れる。飯山線にも近い左岸なので、津南の駅前を目指して国道を離れ、信濃川を渡った。
 ──そうそう、千曲川は県境を越えて新潟県に入ると、信濃川と名前を変える。
「こっちの道は起伏が多くて大変ですよ。国道で一気に抜けちゃったほうが楽ですよ」
 津南駅前を右折し、左岸を飯山線に沿って進む道を選択すると、Aさんがいった。
「そうなんですか? 詳しいですね」
「ツール・ド・妻有(つまり)のコースなんですよ」
 ──そうなんだ。「走ったことあるんですね」
「ええ、何年か連続で出てたので」
 それって、Kさんも出たことがあったはず。聞くと、二年連続出たという。
 それを知ると、僕がただ走りたいと思ってやってきたコースながら、なんだか申し訳ない気分になってきた。
 しかし、申し訳ないと思う反面、僕自身は来てよかったと思う道になっていった。


 さっきの県道408号もそうだったけど、どうも左岸のほうが上り下りが多い。左右同じ河岸段丘なのに、左岸のほうが川にせり出して道を造るスペースがないのだろうか。上り下りを繰り返しつつ進むと、今度は通行止と書かれた立て看板もあった。
 迷わず進む。ふたりには悪いなあと思いつつ。
 国道353号のこの区間の規制は、工事による通行規制で、平日と第二・第四を除く土曜日の日中に通行止めになる。しかし僻境の地でそんな時間に規制をかけたら、もう全面通行止めと同義だ。じっさい路面はガレた林道のようであり、その上をはらわれることもなく積もった針葉樹の落葉が埋め尽くしていた。通行がなければ、道はこうなる。
 でも道としてはなんて魅力的なのだろう。
 まず、古い国道標識(通称:おにぎり)が迎えてくれる。番号のみが記載され、古い書体。その雰囲気に気分が高揚する。
 確かにAさんのいうように激しい起伏。上ってはすぐ下る、その繰り返しが続くうえ、道はとんでもなく狭い。こんな道路が国道であることに驚いた。
 工事規制どころか全面通行止めにしてもう廃道化が進んでいっているようにさえ見えた。三本ワイヤーのガードロープがいたるところで切れ、その支柱が残っていないところもある。この道幅で道の荒れ具合も加わると、路肩即直下型崖という構造がスリルありすぎだ。かつてはガードロープがあったのだろうから、代わりになる駒止めすらない。端によって滑らせたらもう落ちるのみだ。
 坂が確かにきつく、視界が開けると、信濃川がずいぶん下方に見えた。
 ──こんなに上って来たのか。
 落葉や枯れ枝や小石を避けつつ踏みつつ進みながら、やがて大きく視界が開ける場所に出た。段丘をひとつ上がったような高台。はるか眼下に大河とダムが見えた。宮中ダムだった。


十日町でへぎそばを食べましょう」
 長岡まで行くことは断念した。断念というより、それを目的にこの景色をすっ飛ばしてしまうなんてあまりにももったいない。自転車を置いて景色に浸った。押せ押せの時間で長岡まで走るよりも、この道をじっくり体感したいと思った。
「ここ、これでもかつて、ツール・ド・妻有のコースだったんですよ」
 とAさんがいった。「かなり前ですけどね。こんな通行止めになる前」
 それから広く俯瞰する大パノラマを地図に見立て、ふたりがツール・ド・妻有で走るコースを指で示してくれた。遠くに見える温泉施設がスタート&ゴールだそう。
 でも、聞いていてなんだか申し訳ない気がしてきた。僕が引いたルートはふたりにとっては既走箇所。僕についてきたものだから今日の道は何度目かのサイクリング。これでよかったのかなって思う。もともとひとりで出かけようと思っていた道だったから気にするところなどなかったのに。走ったことがあるのにすいませんって、いおうと思ったけどいいそびれてしまった。
 夏だとあそこまで見えないとKさんがいった。苗場山とその周辺と思われる白い雪をたっぷりかぶった山だった。湿度も低くて空気も澄んでいるからかもしれない。そういってもらえたのは、多少の救いになった。


 でも、来てよかった。
 本当に素敵な景色だ。

 

f:id:nonsugarcafe:20180428101422j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180428101423j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180428101424j:plain

f:id:nonsugarcafe:20180428101425j:plain


 旅は、この満足を得て、十日町で終えることにした。
「さあ、へぎそば食べに行きましょう」