自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

富士、樹海、湖、白嶺/朝霧・富士西麓・峡南サイクリング(Mar-2018)

本栖湖にそんなに行きたいのなら、行けばいいんですよ」
 と、輪行友人のMさんがいってきた。「行きましょうよ」
 僕自身そんなつもりはなかったのだけど、先週、山梨県・陸の最果て、早川町に出かけたとき、どうもあえて本栖湖をやめて(行き先を早川町にした)、とか、あきらめて、とか、仕方ないけど、とか、そんな言いかたになっていたらしい。本当にそんなつもりはないのだけど。
「わかりました。じゃあ行きますか」
 と僕は答えた。
 それから何日かかけてルートを考えた。先週、早川町に行くときに並行して検討していたルートじゃ僕が面白くない。それと、以前西伊豆で立ち寄ったチェレステ・カフェで、南アルプスの山々を眺めるなら朝霧高原から上った県道沿いの展望台が最高ですよ、とオーナーがいっていたのを覚えていて、
静岡県側から入って、朝霧高原を抜けて行きましょう。南アルプスを望める大室山西展望台を通って、鳴沢から本栖に出るっていうプランでどうでしょう?」
 と、身延線西富士宮駅からスタートするルートを提示した。
「いいですねえ」
 という。そうやって固めたつもりでいた計画も、ルートを引いていた僕はまただんだんとエスカレートし、
「いっそ、百キロ走りますか」
 と、今度は東海道本線富士駅を起点にするルートを提示した。
「はぁっ?」
 何いっちゃってるの、とニュアンスが伝わってくる。僕にしてみても百キロって距離は大げさである。少し、調子に乗ってはしゃぎ過ぎた。

 

 

 だから土曜日の朝、東海道本線富士駅で降り、そのまま改札を抜けたのはどっちも引っ込みがつかなくなっていたのだ。西富士宮まで行きましょうとは、どちらからもいわない。本栖湖をふっかけてきたMさんに、本栖湖だけじゃない朝霧高原から上っていくコースをこれでどうだと提案してみると、いいじゃないですかと予想外にストレートに答えられ、やがて売り言葉に買い言葉的、まるでレンガを積む壁の高さ競争のごとくエスカレートしていったのだった。
 まあいい。ゴールを中央本線甲府駅にしているものの、後半は身延線沿いを走るから、つらくなったら身延線のどこかの駅でやめてしまえばいいのだ。
 そう考えて気を楽に持つことにした。

 

 

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 無理に積み上げたレンガのぶんは、密集した車のあいだを走らなくちゃならないだけの、町なかの幹線道路だった。信号も多くて、そのうえほとんどそれらに引っかかるものだから、快適でも楽しくもなかった。積んだレンガの11キロは、車と車のあいだを走り、信号待ちや踏切待ちをするばかりの、無駄な距離だった。
 信号待ちをしていると、後ろに銀マットやらテントやらをひもでくくりつけた、女の子が乗っている小さめのオートバイに並んだ。これからキャンプに向かうんだろう装備だ。話をしてみるとかなり若い子で、これから仲間と合流して、富士山を見ながらキャンプをするんだといった。
 リアル・りんちゃんだ──(ゆるキャン△、志摩りん)。

 

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 身延線西富士宮駅前を過ぎると、だんだんと上りが始まった。
 チェックしておいた沿道最終のコンビニで休憩を取り、国道139号を立体交差でくぐると、町も後ろに去り、いよいよ高原道路になった。
 富士山には、薄く細い帯状の雲がつねにかかっていた。浮世絵に描かれた絵のように、富士山の末広がりの稜線に、何箇所もかかっていた。
「なぜ北斎や広重は、たいていは雲を、描き入れていたんでしょうね」
「作者のセンスとか──」
 右手に現れた富士山の姿を見ては、美術芸術にきわめて疎い自転車乗りふたりが、なんの答えも得られない問答をする。
「でも僕らとしては雲がかかっていないほうがいいですよね」
「さんざん、もう見たので富士山はこれでじゅうぶんですよ」

 

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 朝霧高原は、他の高原の風景とは一線を画す。
 やけにだだっ広いそこは、富士のすそ野に広がった大地にいることを強烈に実感させた。軽井沢とも蓼科とも違う。浅間山のすそ野とも違う。富士山の稜線から、計算された曲線が続き、それが面となり広がっている。草が地を緑で覆い、牛や馬がそこに当然のように配置されている。僕らを抜いていった古風なユーノス・ロードスターが、脇の畔道にはいって車を止め、リトラクタブル・ライトをポップアップさせて、富士山をバックに何枚も写真に収めていた。
 県道71号は均一なアングルで富士山の西麓を上っていく。
 きつくはない。きつくないのだけどそのぶん距離が長く、ひたすら上り続けなくちゃならない。
 好みが、わかれるという。急傾斜でかまわないから、短い距離で一気に上り切ってしまいたいという人もいれば、急な勾配は上れないから、ゆるい坂道を時間をかけて根気よく上って行くほうがいいって人もいる。
 僕は、どっちだ?
 難問だ──。そもそも坂が苦手で、どっちがいいなんて決定要素を持ち合わせていない。

 

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 大室山は富士山の側火山のひとつで、すそ野に独立峰のように大きくそびえているため、山すそに入ると富士山も見えなくなる。青木ヶ原樹海の南側に位置する関係があるのかないのか、周囲は森が続き、県道71号はそのなかを進んでいった。
 Mさんが途中いったように、今日の僕らは富士山への期待はそれほどなかった。どちらかというと南アルプスの山々が見たかった。その期待のあらわれとして、県道71号を走り、大室山西展望台に立ち寄ることを考えていた。
 しかし空気はこれまでの季節とは明らかに変わっていた。春がすみで全体的に白っぽい。富士川の谷と、朝霧高原一帯とのあいだに立ちはだかる天子山地もぼんやりとするほどだ。
 だから正直、これは期待できないなあと思っていた。
 しかしながら、大室山西展望台からの風景は、いい意味で裏切った。3時間半かけてようやくたどり着いた、それだけの甲斐を感じさせた。
 とにかく広い青木ヶ原樹海、その向こうに本栖湖がある。本栖湖を取り囲むように山塊が並び、連なっている。天子や身延の山塊だろうか。その背景画のように、白い雪を連ねた山稜が、しっかりと見えた。それは、とにかく美しかった。

 

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 本栖湖へ向かう国道139号は想像以上の交通量だった。本栖湖までの約10キロは、ここを通らないわけにいかない。
 方角を一時的に南東に変えた国道の正面に現れた富士山は、この先、本栖湖での眺めを大いに期待してしまうものだった。樹海のなかを貫く道路の幅でのみ目にした富士山は、全体が銭湯のペンキ画のようであることを想像させた。雲もまったくかかっていない絶好のフジヤマだった。しかしその姿も、またすぐに樹海の陰に隠れてしまった。

 国道を走りながらでは気づかないけれど、樹海は、じっと目を凝らすと、吸い込まれそうに深い。神秘的で魅惑的な深さだ。強烈なオーラと、美を放つ。

 

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「二週連続じゃないですか?」
 と、スプーンを取った僕にMさんがいう。
「そうですね。確かに」
 と僕は笑った。先週早川町で鹿を食べたのに続き、今週もまた鹿だ。
 ただ残念なことに、鹿肉メニューはこの本栖湖一帯でそろって出している「鹿カレー」の一択だった。早川町の古民家カフェようにメニューにバリエーションはない。周辺食堂での取り決めでもあるんだろうか。
 だから辛いものを一切受け付けないMさんは、カレーをチョイスできず、ほうとうを食べた。

 

 確かに湖畔のどの店にも本栖湖鹿カレーののぼりが立っていた。
 そのなかで選んだ店は、もっとも閑散としていた店だった。
 ほかの店には車が並んでいた。すき間なく車が入った店など、混雑さえ思わせた。でも僕らが選んだ店は止められた車もなかった。店の脇に単管で組まれた、バイクラックと思わせる矢倉がふたつもあった。自転車が一台もないものだからふと不安になり、これ、バイクラックですよね? などとひとたびちゅうちょしてから自転車をかけた。店は当然客もおらず、ひとつのテーブルで店主と奥さんと来訪者とで打合せをしているほどだった。僕はその閑散ぶりに、Mさんがいぶかしがってはいないかと、いくつかの関係もない話題を無理に振っては、会話を途切れさせないようにした。

 

 二週連続のジビエの鹿は、驚くほかなかった。
 僕は先週の記事で、野生の肉なんだから臭みがあって当たり前、むしろ自然だなどと書いた。しかしここの肉は違った。臭みなどまったくない。
 もう何年か前になる。大月から河口湖へ出て、そこからひたすら国道139号で西富士宮までサイクリングした日、同じようにこの湖畔で鹿カレーを食べた。そこは、ここまでで僕らが通過した、車のたくさん止った店のどれかひとつだ。遅めの時間であったにもかかわらず、待った。
 鹿肉は、硬い。それがそのときに持った印象だった。おそらく人生で初めて食べた鹿だった。臭かったかどうかは残念ながら覚えていない。
 そして今日の鹿は、硬くない。良質の赤身肉を食べているようだ。
 つまり今僕が食べている鹿は、ずっと前に食べて記憶に残った硬さのあるものでもなく、先週食べて記憶に残ったにおいのあるものでもない。これまで食べた鹿でいちばんおいしいと感じたものだった。
 食堂・松風。結局僕らが入り、出るまで、他の客はひとりも現れなかった。

 

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「そういえば、以前見たテレビ番組で、ジビエはその撃ち方で味が決まると聞いたことがあります。それをさっき思い出しました」
 本栖交差点で国道139号から分かれた国道300号は静かな道で、本栖湖の落ち着いた雰囲気もあってゆっくり走ることが楽しい道だった。今になって食事した食堂の話題になる。僕はその話を続ける。
「詳しい話をまったく覚えていないんですけど、とにかく一発で仕留める急所があって、そこを撃たないとだめ。それは死んでいく獣のためにも、あとからそれをいただく人間のためにも。死ぬまでに走ったり暴れたりして血が回ってしまうような撃ち方では臭くて硬くて食べられない肉になってしまうって、そんなような話でした」
「旦那さんが自分で撃って、獲ったものを自分で料理してるんだって、奥さんがいってましたね。猟師として、名師なのかもしれませんね」
 自転車を置いた、裏手のバイクラックのまわりには鹿の頭骨がたくさん並んでいた。主人が獲った鹿たちだろうか。こんなところで、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを思い出した。

 

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 昼食前に国道139号から見て期待を膨らませた富士山は、見透かしたように雲のなかへ隠れてしまっていた。本栖湖、中ノ倉の展望台は千円札の裏面の富士。誰もが期待を抱いて、ここに立つ。素通りする車もバイクもいない。
 わずか一時間半なのか、一時間半もすればなのか。天気は大きく変わっていた。晴れ一辺倒の今日の予報とは裏腹に、身体に水滴さえ落ちてくるのを感じるほどだった。鉛色の空に、富士山はいない。
「望んでばかりいちゃいけません。これ以上ぜい沢いったらバチがあたりますよ」
 とMさんは笑った。

 

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 アニメ・ゆるキャン△で見た、本栖湖のキャンプ場は、湖畔にたくさんのテントが花開いていた。ロケーションもよく──なにしろ、一日中千円札裏面の富士山を見ながらキャンプできるのだ──、もともと混雑するとは聞いていたけれど、まだシーズンに入ったとはいえない3月下旬にこれだけのテントが張られているということは、ハイシーズンにはどうなってしまうのだろうと思わずにはいられない。装備さえあれば、今がいい時期なのかもしれない。

 自身のテント前から漕ぎ出したのか、湖上を静かにスタンダップ・パドルが進んでいった。

 空模様を見つつ、もし本当に雨になったら大変だからと、長居せずその場を発った。
 中ノ倉トンネルを抜けると天子山地の向こう側、富士川の谷の側に出る。僕はここで天気が変わることを期待したが、強い風と鉛色の空は変わっていなかった。あきらめて進む。
 通称、本栖みち。国道300号のこの区間は、山深さを感じさせる屈指の道路だ。感覚的にとんでもない方向にさえ思える場所に、これから下っていく道路が見える。どこをどう走るとあんな場所に行くのだろうという位置関係の不思議さと、あんなところまで下るのかという高低差を視界にとらえることができる。こういう景観は、大好きだ。立ち止まって、何度も道路を写真に収めた。

 

 下ってくると、そこかしこで桜が町を彩っていた。集落のあるところまでくると、鉛色の空も晴れ、桜がきれいに日を受けていた。
 決して、うるさくない。賑やかでない。
 桜の名所とは違う、自然な立ち居振る舞いだった。
 人も、桜だ桜だと、判で押したように騒ぎ立てるのはつまらないものだ。「もうね、今ピンク一色ですよ」とMさんが笑うツイッターを、僕はしばらく見ていない。

 

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 夕暮れは、その日その場所によってすべて色が違うように思う。
 今日の甲府盆地に差しこむ色は、黄金色だった。
 最高の色だと思った。海だったらむしろオレンジ一色のほうがいい。ここは、それよりも今差し込んでいるこの色が、いちばん適してる。今日という日にもふさわしい。
 カタンカタンカタンカタンって軽快な踏轍音が遠くに聞こえる。25メートルレールを走る身延線の2両編成の電車に違いない。313系のステンレスボディは、黄金色を反射しているだろう。
 笛吹川のカラスたちはそろって家に帰る。甲府市街地に入って交通量が爆発的に増えた。交通量にまぎれながら、駅へと向かう。美しい夕暮れの色のなか、今日の旅もいよいよ終わる。ハンドル上のガーミンのログが、さっき百キロを超えた。

 

(本日のマップ)

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(GPSログ)

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