自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

陸の最果て/山梨県早川町 - 前編(Mar-2018)

 山梨県早川町
 県道の土砂崩れにより孤立──2013年1月、大雪の影響で孤立──2014年2月、台風による大雨で孤立──2014年8月。
 五開茂倉林道、丸山林道や夜叉神峠越えなど、他の町からアクセスできるいくつかの林道は存在するものの、どれも通行止めや一般車両の通行規制で、実質この町への交通は身延町上沢から入る県道37号のみ。ゆえに事あるごとに町は孤立する。
 そしてこの県道37号からつながる南アルプス林道は、その名の通り南アルプスの稜線を越え、長野県の伊那市に至る(もちろん通行禁止)という、道路好きからすると想像もつかない、壮大なワクワクする、おそろしくもあるルーティングの道まで存在する。
 この地に、この道に、あこがれない理由がどうしてあるだろう。

 最果て、である。

 ずっと古くから知っていつつも、僕がここを訪れなかった理由は、最果てで、県道37号一本によるアプローチゆえの、ピストンルートしか引けないことだった。
 僕はルートを引くとき、ピストンにしないようにするだけじゃなく、できる限り同じ場所を二度通らないように引く。今でこそピストンにならざるを得ないところはしょうがないなとそのまま行って戻ってくるけれど、本当にちょっと前までは、そうできないルートはサイクリングしない、とまで考えていたように思う。かたくななまでに。
 ばかげてる。
 それで逃している土地や道が、どれだけあるだろう。
 そして気づく。ルーティングの固執で得られるものより、損失のほうがはるかに大きいことを。
 おそらく、改心して初めて出向いたのが群馬県から行く野反湖だった。でも、それ以降必ずしもピストンルートを引いているわけじゃない。正直、宣言と行動がまだまだともなってきていない。

 だから、こんなに遅くなってしまったのだ。早川町を訪れるのが。

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 たまたまここのところサイクリックに見ていた「ゆるキャン△」というアニメ──山梨県の高校生がキャンプを楽しむアニメだ──で、夜叉神峠を越えてキャンプ場へ行こうとするシーンがあった。夜叉神峠から早川町奈良田を経て、南アルプス林道で伊那へ抜けようとするルートである。もちろん通れないから夜叉神から一度戻って、甲州街道、茅野から杖突峠を越えて行ったけど。
 これを見て早川町サイクリング熱が再燃してしまった。

 といっても、ルートも引かず、当日の朝を迎えた。
 前日に見た同じゆるキャン△の最終回で、ハッピードリンクショップ(ラッキードリンクショップって名前になってた)や本栖湖を見て、本栖湖に気持ちがなびきかけたけど、朝4時、寝ぼけまなこのまま引いたルートは早川町だった。
 スタートは早川町にせよ本栖湖にせよ、身延線下部温泉。県道37号に入ってあとは一本道の早川町のほうが、ルートが引きやすかったから、というわけではない(つもり)。

「今日はどこ行くのー」
 下部温泉駅に止まっていたタクシーの運転手が、僕に話しかけてきた。
早川町のほうへ行こうと思ってます」
「坂だよー、上ってくよ」
 と運転手は苦笑いする。坂道を自転車で上っていく……。今日に限った会話じゃない。いつも誰とでも、そうだ。
「そのようですね。がんばります」
「そうだねえ、がんばってな」
 昭和のいつ頃に掲げられたかよくわからない、数々の温泉旅館の名が並ぶ看板が時間を止めていた。駅舎は、きっとある時期には人であふれかえっていたんだろう。だだっ広い待合室に、かなりの人が座れるだけのベンチ。もちろん今は人などいない。完全にどこかの点から時が止まっている、下部温泉の駅だった。
 もう10時50分だ。時刻表どおりに来られたとしても、越谷から5時の始発に乗って5時間半に近い時間を要する。おまけに身延線が遅延し、ひと駅ごとに遅れが広がっていったものだから、輪行実質5時間半越え。東海道線なら浜松まで行けてしまう。中央線なら松本、東北本線なら福島で10時過ぎだし、上越線で長岡にも行けてしまう時間だ。同じ関東圏内なのに、どんなところだというのだ、身延線沿線は。
 早めの昼食だったらもうどこかに入ろうかと思うようなそんな時間に、僕は誰もいない下部温泉駅舎を見てあとにする。スタートラインを切るみたいに、身延線の踏切を渡って出発した。

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 しばらくのあいだ、国道300号──通称、本栖みち──を走る。その名のとおり、本栖湖からやってくるキリ番国道である(起点は富士吉田市)。トンネルをくぐり、富士川を渡ると上沢の交差点に出る。
 この上沢交差点が、今日のメインキャストたる県道37号・南アルプス公園線──通称、南アルプス街道、らしい──のスタートラインである(線籍上は終点)。と同時に、国道300号の終点でもあった。交差するメイン道路は国道52号──こちらの通称は、富士川街道──、ちょっとした道路交通の要衝だ。
 上沢交差点を、国道300号から直進し、そのまま県道37号に入った。

 道は、早川に沿って進んでいく。早川は富士川の支流で、大きな川である。川の名前がそのまま町の名前になっている。そういえば神奈川県の早川町もそうだ。箱根から流れて海にそそぐ川が早川。名前まで同じだなんておもしろい。
 しかし、ダンプが多い。
 道は高規格で路肩も広く、おびやかされるようなこともないからいいのだけど、砂塵がひどい。目はちりちりするし、鼻やのどがいがらっぽくなる。空気全体が白っぽい。顔が砂っぽく感じる。ダンプとすれ違う。追い抜かれる。とにかく数が多い。数えていないけれど、ダンプとダンプ以外で分けたところで、半数を超えているように思えた。
 右に鰍沢と書かれた青看板が現れる。県道410号とあった。これを過ぎ、ほどなくして、「山梨県早川町」の案内標識が出た。いよいよ、最果ての町に入る。振り返ると裏側は「山梨県身延町」の表示だった。

 青看板の標識もなく、左に赤沢(あかさわ)宿への道を分けた。観光用と思われる「赤沢宿」と書かれた看板がなければ気づかないほど。身延山参拝の講中の宿として、山深い坂の途中に宿場が形成されたと聞く。いわゆる街道筋の宿場町とは毛色を異にする。この県道から分けて2、3キロ程度か。ピストンで戻ってきたときに、時間に余裕があれば寄ってみようと思う。

 道の両側に、山と積まれた砂利がある。それに加えて、早川の広い河原にも同様の積まれた砂利がある。重機とベルトコンベアが間断なくダンプに砂利を積んでいく。ダンプは、タイヤまで真っ白にしながら砂塵を上げて道路に出てくる。まるでトミカのPVを見ているようだ。計算された工程が繰り返されている。重機もコンベアもダンプも、トミカPVの映像要素のひとつに思えてくる。
 すべて採石場だろうか。町の産業?
 様相は栃木県の葛生の山に足を踏み入れたときのようだ。絶え間なく走るダンプ、真っ白なタイヤ、路面も同様に真っ白で、ダンプが過ぎればそれらが空中に舞う。
 しかし、葛生や、小豆島のように、斜面をこれでもかとばかりに削り取られた山は、どこを見まわしても見当たらない。むしろ川原だ。しかし川から採石するというのは記憶にない。なんなんだろう、このまるで町を支配するようなダンプカーたちは。

 雨畑地区へ向かう県道810号を左に分岐した。ここも赤沢宿同様、ピストンから帰ってきたとき、時間があったら分け入ってみる場所として記憶に押し込んだ。

 だんだんと、道が貧弱になってきたような気がした。

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 草塩温泉の看板に惹かれて、早川にかかった橋を渡った。ひどく狭い橋だった。欄干も舗装も貧弱だった。渡ったはいいものの温泉がいったいどこなのかよくわからなかった。入り組んだ曲がった道は、畑集落のなかでしかなかった。温泉の名で観光客を集めているのだろうか。
 道の突き当たり、時計のついた町内会の掲示板のようなものがあった。なぜ時計なのだろう。まるで時計台のように見えた。僕は日だまりのなか休憩をしようとそこに自転車を置いた。

 持ってきたぬれ煎餅を食べながら、ちょっとだけ、ダンプについて調べてみる。

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 ざっくりわかったあの砂利は、町の産業じゃなかった。
 町を貫く中央新幹線(リニア)の南アルプストンネルの排出土だった。
 JR東海から工期中の排出量が示されたものの、町内唯一の道である県道37号の規格ではとても運びきれないことが判明、そこで並行する早川の河原を残土置き場とし、排出土を積み上げているようだった。
 さらにもう少しだけ調べてみると、同じトンネルの長野県側、大鹿村でも同様の問題を抱えていた。だいたい山中深いところにトンネルを掘ろうとするわけだから、道路インフラが未発達なのは当然の場所だ。こちらも運び出しきれない排出土を一時的に置く提案をJR東海から出されたものの、早川町と違い残土置き場すらなく、決定なきままトンネル掘削だけが開始されているみたいだった。
 いずれも、おびただしい数のダンプが行き来しているようだった。

 僕は、腰を下ろした畑集落の一角で、空を見上げた。県道の対岸、曲がりくねったこの細い里道は、ダンプとは無縁だった。
 遅かった。早川町に来るのが、遅かった。空を、見上げた。

 遠目の広い敷地に車が並んで止められている場所があり、そこが草塩温泉の入浴施設なのかなあと眺めた。ガーミンを見るとしばらくこのまま集落内を進んで、その果てにある対岸に渡る橋で県道37号に戻れそうだった。
 神社の前、錆びたブランコ、鉄棒、ジャングルジム。人の手が触れた気配はもうない。
 やがて里道は集落の終端を過ぎたのか、木々に囲まれた。枯れ葉や折れ枝が落ち、路面は濡れ、苔もあった。もちろんガードレールなんかないから、滑らないように路面を選んで走る。
 ──この先県道37号には出られません。
 と書かれた立て看板が目に入った。細かい字まで読み切れなかったけど、この先の橋が渡れないとかなんとか。でもここから戻るのはいやだ。ガーミンの地図(OSM)には橋の線が描かれている。きっと、自動車の通行を制限した、工事看板が立っているとかその程度に違いない、と勝手に割り切り、進むことにした。濡れ、苔、枯れ葉の道を戻りたくない。
 現れたのは、僕が想像していた、古く、痛んだ、車が通行するともろく朽ち落ちてしまいそうな橋ではなかった。吊り橋だった。橋の入口には車止めが立てられている。しかし車など入れる道幅もない、そもそも人の往来しか想定しない、人道橋だ。主塔がきわめて古い。朽ちかけているようにも見えなくもない。しかしながら橋とワイヤーは新しい。おそらく、吊り橋が流されたのだろう。主塔だけを活かして橋を架けなおしたんだろう。あるいはこの最果ての町、何度も流されているのかもしれない。ともかく、道を戻ることなく対岸に渡れてほっとした。

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 ダンプはいつの間にか減っていた。トンネル掘削現場や残土置き場の上限に達したのだろうか。
 道は同じ県道37号ながら、明らかに規格が下がっている。道幅も狭いし路面も荒れている。身延町との町界近くの高規格とは桁違いで、ちょっとしたことで掘れや割れ、陥没や穴あきを起こしそうな薄い舗装に見える。そしてじっさいに荒れている。現れる橋梁は14tの制限がある。
 道端に畑があったり、県道沿いに脇水路があったりする。県道に脇水路とは……。幹線道路とは一線を画した生活道路になってきた。
 いい感じ。

 町内にサイレンが鳴るのが聞こえた。
 こういう地方に来ると時報がわりにサイレンを鳴らすのをよく耳にする。時計を見たら12時を示していたからそれだと思った。
 しかし違った。
 ありがちな、むかしの消防車のような、あるいは甲子園の試合開始のようなううううぅぅぅぅ……というやつじゃなく、妙に甲高い、耳につくトーンだった。どちらかというとびぃぃぃぃぃぃぃっという感じ。長く鳴ったと思ったら止まり、間をおいてもう一回鳴った。さらにもう一度鳴りやんで間を置き、もう一回鳴った。
 その不気味でさえあるサイレンに僕は聞き覚えがない。しかしながら長いサイレン音と、吸い込まれそうな妙な間に、僕は連想するものがあった。ダムの放流である。
 ダムのある河川のそばに行くと、ダム放流時の増水を注意喚起する掲示をよく目にする。そこには放流時に鳴らすサイレンと、そのサイレンパターンが図示してある。それだ、と思った。
 初めて聞いた。
 耳慣れない不気味な音に、僕の心がざわつく。でも町全体にあわてる雰囲気もない。そもそも人の姿がないし、ダンプのいない道は交通量だってほとんどない。
 走りながら、後ろへ遠ざかっていくそのサイレン音を聞いていた。そしてトンネルに入ると、音は耳に届かなくなった。

 新倉の集落に入ってみた。県道はバイパスされ、むかしからの道は生活道路になっている。
 道の両側に家々が立ち並んでいた。僕は少しばかり驚いた。もっと過疎が進んでいるのかと思った。さっきの草塩温泉周辺の集落にせよ、家が想像より多いから。関東でも僕の住む埼玉や、栃木、群馬、茨城なんかの過疎集落に行くと、もっと家がまばらで、隣近所っていう印象はない。それがここは古くからの住宅地のように、家々が密集している。住んでいない家も多くあるんだろう。なんてったって早川町は全国一、人口の少ない町なのだから。
 もともとこの新倉の集落は、主に昭和30年代、早川の水力発電開発でたくさんの人がこの町に入った頃の中心街だったそうだ。ダムや発電所建設にかかわる人が町に一万人以上入っていたと聞けば、集落規模と家々の数には首肯させられる。
 しかし土地が狭い。早川をさかのぼればさかのぼるほど、山が迫る。本来平地を求める集落は、限られたそれからあふれ、急峻な山肌に突き出るように家を設けている。せまりくる崖に、余すことなく家を建てていた。見上げるそれが、新倉から入った茂倉の集落だった。
 陸の最果ては、僕が想像していた場所とは全く違った。
 もともと、いくつもの集落がある町だから、秘境だとは想像していなかった。そして、来てみた。早川町は、秘境ではない。

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 斜面に張り付く茂倉の集落へ向かう道、その先には十谷(じゅっこく)峠を越えて十谷温泉、五開へつながる五開茂倉林道がある。さらに県道407号につながって鰍沢へ出られる。強く興味をかき立てるけど、現在通行禁止になっている。規制区間は十谷峠より東、規制解除は未定。開通したら走ってみたい。──するだろうか。

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 いよいよ道が狭あいになった。センターラインはなくなり、舗装も林道レベルだ。この先離合困難な箇所もあるとドライバーへの注意喚起の立て看板もあった。
 そんな道が突然広く高規格になったり、大口径の明るいトンネルをくぐったりする。改修されたり、別ルートで付け替えられた新たな道なんだろう。
 と思うとすぐにボロボロの狭あい道路に戻る。その繰り返し。
 最果てへの道は少しずつ、基盤を整えていってる。

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 温泉もある。西山温泉、奈良田温泉など。
 温泉旅館もある。早川の渓谷に向かって建てられた温泉旅館。と同時に廃墟旅館もある。どこだってそうだ。
 レンガで造ったちいさな焼却炉を見つけた。もちろんもう使っていないはずだけど、重々しく、丈夫そうで、生きている気がした。必要なものがあれば自分たちで造り、使っていく。この町の生き方だ。そうしたことが、使われていない焼却炉であっても、時間が生きていて、魂が生きていることを伝えてくる。

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 見えてきたダムは、西山ダムに違いなかった。ダム湖は奈良田湖。両温泉集落の名を取ったような関係だ。
 ダムの閘門は全開だった。さっきのサイレンはこれだったのだろうか。
 ダム湖には水がない。湖は、積まれた残土をたくさん見た早川の河原と同じ色彩をしていた。放流で水をすべて出してしまったのかと思ったけどおそらく違う。湖に重機が入っている。つまりはここ、日常的に水がないのだ。
 たいていのダムは、雪融けのこの時期、水で満たされるはず。ただこの町の場合、水力発電で意図的に水をコントロールしていることも考えられるし、特別なのかもしれない。あるいはトンネル。トンネルの掘削は多くの水の流出をともなう。中央新幹線のトンネルは山からの水をみな排出してしまっているのかもしれない。トンネルはその土地の水の流れさえ変えてしまう。──もちろん、そのせいかどうかもわからない。あくまで想像。
 発電所への案内標識があった。左に西山発電所、右に湯島発電所。ここまでもいくつもの水力発電所を見てきたから、まさに水力発電所街道だ。湖対岸の、おそらく東電の管理用道路は、水の流路を道が妨げないためのトンネルがあったりする。ダムや発電所のためにいろいろな工夫がある。でもこの水量で、発電機はまわっているのだろうか……。

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 湖岸を走っていると、すぐに、奈良田の集落に入った。
 そして、いちおうの最果て、である。
 身延駅からやってくる、町営の乗合バスの終点でもある。県道37号の一般車両の通行もここが最終だ。
 しかしここまで来るあいだの青看板には、つねに「広河原」が記されていた。これぞ本命の最果て、あこがれの地名だ。広河原までが県道37号。南アルプス公園線という県道名称はかつて、野呂川波高島停車場線だった。野呂川は早川が南アルプス市に入ってからの呼び名。本当だったらこの広河原まで行って初めて最果てへの到達だっていえそうだ。

 行ってみたい、と思う。
 広河原へだ。
 しかしここまで来るのに時間もずいぶんかかっている。暗くなる前にはこのピストンルートを下りたい。この先どこまで行けるかわからないけど、時間がどれだけ必要かわからない。そして県道37号の規制はどこで引かれているのか。
 奈良田のバス待合所でトイレに立ち寄り、考えた。
 行けるだけ、行ってみることにした。
 規制が明確に行われていれば、そこまででいい。冬季閉鎖もある道だから、おそらくそう長くは続かないはず。そこまで行ってくるぐらい、いい。
 身延からの乗合バスのバス停から少し離れて、山梨交通のバス停があった。ここ奈良田から広河原を結ぶバスだ。最果ての最果てへの唯一の交通手段、徒歩以外は、このバスでしか行けない。

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 右手に丸山林道が現れた。
 この林道もまた、東へ山稜を越えていく。平林という集落に達し、そこから県道経由で富士川町に出られる。増穂の町だ。
 この道もまた通行止め。ここは規制の期間すら記載がない。未定とさえいっていない。危険な状況であることから通行を禁止、それだけだ。

 県道37号を進む。早川を渡る。この町内全般、古いトラス橋が多い。色はたいていグレー。そして、14t規制。雪をかぶった南アルプスの峰々が、近づいている。

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 わずか5分ほどだったろうか。多く見積もっても10分はかかっていない。
 支流である広河内川の橋のうえで、僕はふたつの抗口と、それをふさぐ強じんな柵を眼前にした。
 ついに車両での最果てに、来た。

 柵は、強い意志さえ感じられた。最近はやってないが、規制の突破を許さないものだった。
 ふたつのトンネルは、左の一方が県道37号である。右の一方は東電の発電所管理用の道路で、地図には掲載されていない。これだけ強固に示されると、いよいよ終端なんだなと実感させられる。
 冬季閉鎖が解除されても、トンネル脇にある詰所に監視員が入るのだろう。山梨交通のバスが通行するとき、ともするとこの柵を開け閉めするかもしれない。自転車で、黙って突破することは困難だなと、実感した。

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 一度、季節を変えて来てみよう。このゲートが開かれているところを、見にこよう。もう一度、この地が最果てでなくなってしまう前に。

(本日のマップ)

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GPSログ

後編へつづく