自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

雪で思い出したこと

 また雪になるみたい。都内で降っていた雨は、越谷に戻ってきたらみぞれまじりになっていた。

 明日、また電車が混乱するのかな。



 もう20年以上前になる。

 同じような真冬のさなか、金沢で仕事があった。

 当時は北陸新幹線はおろか、長野新幹線もなければほくほく線もなかった。北陸に行くには、東海道新幹線米原まで行き北陸に向かう特急に乗り継ぐルートか、上越新幹線で長岡から北陸に向かう特急に乗り継ぐルートだった。どちらにせよ遠回りだし、一本じゃいけないから、多くの人が小松空港への空路を利用していた。

 僕は、長岡回りを選択した。

 翌日の仕事のために前日入りする必要があり、午前中東京で仕事をしたのち、お昼の上越新幹線に乗った。

 今夜と同じような雪の予報だった。

 上越新幹線のなかでお弁当を食べた。東京で乗ってしまうと、確か次が長岡というとんでもない列車で、大宮も高崎も越後湯沢も止らなかったように思う。

 関東もぐずついた空だった。高崎を通過するころには雨だかみぞれだかが落ちてきて、トンネルを越えた上毛高原ではすっかり雪になった。そして大清水トンネル。そこから先の雪景色は言わずもがな。

 上越新幹線っていうのはすごいもんだ。

 いや乗っているそのときはすごいとは思わなかった。降りてからあとの話で。

 長岡に、定刻どおりに着いた。14時少し前だった。


 在来線のホームに降りて、しばらくしてから異変に気づいた。どうも列車が走っていないみたい。すぐに気づかなかったのは、ホームや階段や改札口が特にごった返しているわけでもなく、駅の案内放送もほとんど入らなかったから。ホームの向こう、線路のすぐ外には3メートルか4メートルかありそうな積もりに積もった雪があった。しばらく周囲を見回していてわかったのは、そこが駐車場で、積もった雪の下にはどうやら自動車が埋まっているということだった。自分の車じゃなくてよかったとか思う。こんな状況、見たこともなかった。

 思い出したようにときどき、放送で情報を流した。いや情報とは言えまい。放送されるのは、いつ列車が来るのかめどもつかないこと、新幹線は時刻通りに走っていること、それだけだったから。

 列車を待つあいだ、僕は何をしていただろう。それは今となっては思い出せない。

 暖房の効いた駅の待合室にいた記憶はある。ただそれも飽きてしまい、待合室を出、駅構内を散歩したりした。それを何度か繰り返していた。でもそんなことをしてもつぶせる時間は限られていて、それにも飽きると駅員にきっぷを見せて断り、駅周辺を少し歩いてみたりした。

 結局、4時間近く待った18時前(夕刻である。というよりもう真っ暗だった)、やっと列車がやってきた。金沢行きの特急だった。

 そのあいだに列車はいっぽんでも来たのだろうか。僕は特急に乗る必要があったからよかったけれど、地元の人たちは普通列車に乗るしかない。普通列車に乗らないと家には帰れない。しかし途中までの区間運転の普通列車さえ、僕が待った4時間近くのあいだに来たのかどうかわからなかった。

 18時近くになってようやく出発した。列車は特急の金沢行きだが、雪の状況によっては糸魚川や富山で運転続行ができなくなるかもしれないと、車掌が放送した。

 結局列車は金沢まで走れることが決まった。富山を過ぎると列車もがらがらになり、走行音がすべて雪に吸収されてしまうものだから、妙な静かさがあった。ガラガラなのはもうひとつ理由があった。もうかなり遅いのだ。

 特急が金沢駅に着いたのは、ほぼ0時に近い23時50分だった。特急にだって6時間近く乗っていたのだ(途中動かずにかなり長い時間の停車も繰り返したから)。

 そのときは大変だった。翌日仕事も控えていたし、移動は絶対だったから、やきもきしてた。

 でも今思えばなかなかない経験だったなって思う。


 それに、雪のなかを列車で旅するっていうの、いいよね。


 明日、鉄道が混乱しませんように。