自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

千枚田と南房総/外房から内房、また外房(Jan-2018)

 上方が丸みを帯びた、でもそこから下はすべてすとんと真っ直ぐに切り抜かれた、カマボコみたいな形をした狭いトンネルを抜けると、狭い下り坂の先に太平洋の海が望めた。古めかしい建物ばかりが道幅を狭めるように建つなかを路地のような県道はくねくねと屈曲しながら下り、海は見え隠れを繰り返す。海岸線までわずか1キロ程度のそこは海の町の雰囲気を強く覚え、ぎゅっと凝縮したような坂のある町──たとえば長崎であったり尾道であったり──の名を思い出させた。見える海はきらきらと輝いて、赤みを帯びていた。一日が、終わろうとしていた。

 

 

 日本列島全体がすっぽりと強烈な寒気に覆われて──、各局の天気予報がその言葉ばかりを口にした。最低気温の予想は埼玉県越谷市だけじゃなく東京も氷点下で(東京と越谷はいつも3、4度違うので、越谷はふだんも氷点下が多い)、へえと思い房総に向けて車を走らせていた。房総は暖かいだろうという僕のなかでのステレオタイプ。冬は房総、三浦や伊豆、静岡あたりに足が向きがち。

 それにしても寒い。早朝、まだ深夜のような空のもと、車に積む自転車から伝わる金属的な冷たさは想像以上だし、車で走り出しても空調からはなかなか暖かい空気が出てこなくて凍えていた。

 

 鴨川を目指していた。道の駅鴨川をベースにする。房総半島の内陸をJR久留里線に沿って走り、亀山からそのまま南下するルートを取った。

 亀山湖のうえをいくつかの橋で越えていると、車の外気温計が氷点下2度を示していることに気づいた。「マイナス2度?」とひとり口にまで出す。房総半島のしかも南のほうまでやってきて氷点下とはまさか想像していなかったから。しかも時間は7時半を回っている。明けきらない5時6時ならまだしも、すっかり明るくなったこの時間で氷点下とは、一瞬外気温計の故障すら思い浮かんだ。もう自転車に乗るのはやめようかとなかば本気で思い始めて鴨川有料に入り、通行料金210円を払ってトンネルをひとつ越えてから、外気温計はあわてたように2度になり、標高を徐々に下げるに従って3度、鴨川市内に下りると4度になっていた。少しほっとする。

 

 道の駅鴨川は、名称をオーシャンパークというだけあって、目の前が太平洋の大海原だった。これだけのロケーションなのに止っている車はぽつりぽつり。冬だからか。夏だといっぱいになっているんだろうか。ほとんど人影の見えない道の駅施設は、利用者の少なさと掃除を終えたばかりのトイレのびしょ濡れの床が寒さばかりを助長した。じっさい、ときどき鳴りの悪い笛のような音を立てる北風もあって寒かった。それでもエンジンを止めるまぎわの車の外気温計は5度になっていた。

 せっかくきたんだし、走ろう……。

 

(本日のマップ)

GPSログ

 

 南房総の内陸を貫いて走ろうと思った。外房の海を見て内房に抜け、再び外房に戻ってくる。そのイメージを具現化してみる。前半はおととしの終わりに友人のUさんに連れていってもらった嶺岡中央林道から大山千米田、佐久間ダムに抜けるルートにした。安房鴨川駅からそれらを経由し内房保田に抜けたルートは驚きと感激の連続で、佐久間ダムから先、内房に抜ける町を勝山に変えた以外は同じルートを流用させてもらった。

 勝山に抜けたあとは内房海岸線をしばらく南下し、岩井、富浦と抜けて那古船形からまた内陸へ。ここから東へ向かえば外房和田へ抜けられる。

 

 そんなわけで早速嶺岡中央林道へ向かった。

 道の駅鴨川は、鉄道の駅でいうと内房線太海と江見の駅のあいだにあるので、しばらく国道128号を北上する。海岸線を走るルートは、朝の車のなかで想像していたよりは寒くなかった。嶺岡中央林道に入るため国道から離れたところで早々にウィンドブレーカーを脱いだ。

 そういえば──、と思い出した。僕は何度かこの嶺岡中央林道を訪れているけれど、いつも鴨川からだ。逆に鴨川へ向けて走ったらどんな風景なんだろう、そう思った。林道の急な坂道を上り、ときどき背を振り返りながら見える海、どんどん小さくなる鴨川から天津に向けた海岸線の町、そんなものを見ていたらまたここへ来なきゃいけない理由ができる。

 

 何度も止まる。景色を眺め、写真を撮る。それを繰り返す。

 太平洋であったり、海沿いの町々であったり、丘陵部のどこかの山に建っている風力発電の風車だったり、木々しか見えない山々の連なりの風景であったり。眺めのいい途中のパラグライダー場はやっていなかった。

 千葉の風景の魅力のひとつは、里にあると僕は思っている。北総から南総、房総半島一帯にいたってそこかしこで見られる風景で、そのなかへ直接飛び込みたくて僕は路地に進路を取る。大きな屋敷から小さな家までが密集した農村集落や、道のなかばから望む山のなかや田畑のなかに点在する家々が楽しい。そういったところへ入って行くには里みちを選ばないとならない。

 嶺岡中央林道は魅力的な林道で、自転車に限らず、車、オートバイ、徒歩にいたるまでファンが多い。ツーリングマップルにも名コースとして紹介されるし、じっさい房総半島の両端を、嶺岡の丘陵部の稜線をたどって東西に貫く道は、全工程にわたって木々に囲まれた山中を行く林道らしい林道だ。

 でもこの林道は僕が好む里へ入って行くことはない。ひたすら林間を走って行く道だ。おととしUさんが引いてくれたルートは途中で嶺岡中央林道を外れる。鴨川側から2号、1号、4号、3号で構成されるこの林道のうち、2号だけを走る恰好だ。2号を外れたあとは嶺岡山系の北側、長狭へと向かう。

 

 

 国道410号をほんの少しだけ上ってそこが嶺岡山系の鞍部。そこから長狭に向かって道はどんどん下って行った。寒い。下りだからその前にウィンドブレーカーを着るべきだったと悔やんだのだけど、下り切ってそこから長狭の路地、里みちへ入ったあともずっと寒かった。まわりの田畑には霜が降り、道の日陰の水たまりや調整池の水は凍っていた。

 明らかに空気が違う。このときに朝、車で見た外気温計を思い出した。亀山湖を抜けているときに氷点下であったこと、それは鴨川有料のトンネルまでそうだったこと。トンネルを抜けるとみるみる外気温計が変化しプラスに転じたこと。

 きっと、嶺岡山系の向こうとこちらで、横たわっている空気が違うのだ。

 

 田畑のなかのいくつもある里みちのうちのひとつを行く。ここはとてもじゃないけどガーミンに表示したルートがないと走ることができない。見ながらでも何度も道に迷う。やがて道は再び嶺岡山系の山肌を少しずつ上って行く。丘陵部の北斜面にある道だから日もほとんど当たらず、寒い。

 林は、杉のような針葉樹と竹が多い。竹も千葉の特徴だと思う。埼玉県にもないわけじゃないけど、千葉ほど多くは見かけない。その針葉樹と竹がときどきがさがさがさと音を立てる。なんだろう。さっきから鳥が多い。飛び回ったり、林のなかで大声で鳴くやつもいる。木々を揺らしときに枝が折れるような音や地面を石が転がって行く音がする。途中、林の中をパトロールしているふたり組とすれ違った。おそらく猟銃の入ったケースを下げていた。そういうことなの? いるの? 単純にそう思い、ちょっとだけ怖くなった。房総半島は熊はいないと聞いたことがあるけれど、鹿やイノシシだって、ひとりでこんな狭い、道の中央と両端に枯れ葉枯れ枝の積もった道を走っていて鉢合わせなんてしたくない。少しだけ音に敏感になって、少しだけ怖くなる。

 

 そんな道を伝いながら、大山千米田に達した。冬枯れの棚田が広がっているそこは、人もいない。茶褐色のどこまでも続く田風景が新鮮だった。遠くまで、おそらくあのなかを走ってきたであろう嶺岡山系が続いていた。

 

 坂がきつかったこともあるし上った距離をすべて吐き出してしまうほど一度下って上り返したこともあって、大山千米田に着いたときにはもう12時をまわっていた。内房海岸線まで出られればと思ったのだけど全然かなわなかった。それにお腹もすいていた。前回も寄った古民家レストランのごんべいで昼食を取ることにした。まず、あたたかい建物のなかに入れたことがうれしかった。

 

 大山千米田からは感嘆が続く冬枯れの棚田のあいだを下って行った。田畑の風景が美しいのは、大山千米田と看板を掲げたそこだけじゃない。そしてまた上り。農村集落のなかをきつい坂道で上って行く。

 山中の道から眺める風景は、深い山あいの町なんじゃないかと錯覚する。

 水仙が増えてきた。佐久間ダムが近づいている。

 道すがら30人ばかりか老人男女のグループハイキングにとすれ違った。道も狭いのでゆっくりブレーキで減速して進んでいると、

「ここ下っていって、どこに行くの~」と声をかけられた。

「ダムです。佐久間ダム

「どっから来たの?」

「大山千米田から来ました」

「千米田?」少し驚くような言いかたは、確かに歩いていくには距離がありすぎるし、自転車で走るにしても彼らには想像しない距離なんだろう。「向こうから?」

「はい」話しかけた人が僕の走ってきた道の背方向に指をさすので、「そうです」とうなずいた。

 

 佐久間ダムへの坂道を下って行く。途中にあった「をくずれ水仙郷」が人でにぎわっていた。水仙が見ごろなのだろうか、僕はあまり詳しくない。そこからダム湖までは途切れることなく人が訪れていた。今日一日ここまででいちばん人と出くわした光景だった。

 ふと僕は思う。あの老人たちはどこへ向かっていたのだろう、ちゃんと行き先と道を把握したうえで歩いていたのだろうか。下り坂の途中バス停の終点を見て、彼ら彼女らの歩いている方向はそこからダム湖やをくずれ水仙郷とは反対側だった。何人かが紙の地図を見ていた。まさか、あれだけの集団で道に迷っているわけじゃないよなあと。わかったような応対をしながらもじつは会話のなかから自分たちの現在地や進んでいる方向を推測していたんじゃないかと。そんなことはないか……。

 

 

 ちょうど目の前を内房線の209系電車が走って行った。山から下ってきていよいよ線路沿いまで来たのだ。ここからしばらく国道127号で南下する。

 本当はこのあたりのどこかの町で昼食にできればいいなと思ってた。結果的に想像よりも進みが遅れ、空腹が早く訪れて、大山千米田で済ませたから、途中コンビニ休憩をはさむ程度にして先に進んだ。

 内房の海岸線をつないで走る道はこの国道127号しかない。少し内陸に入る里みちはみな途中で途切れてしまう。だから自転車も国道を使わないとならないし、車もみなそう。自家用車から大型トラック、ダンプまで雑多に交通量が多い。海岸段丘により海岸線まで張り出した崖の地形で、張り付くように作られた道は片側一車線で狭く、トンネルも多い。いわばとっても走りにくい道だ。そうなのだけどなぜか僕はこの道が嫌いじゃない。東京湾と、対岸に三浦半島を望み、その向こうにときには富士山も見える。今日もうっすらと浮かんでいる。そんな風景を眺めながら南下していく。

 

 那古船形駅近く、甘太郎あおきという甘太郎(=今川焼)屋さんで軽く休憩を取ろうと思っていた。しかし店の前まで来るとすべての扉は閉ざされ、その内にはカーテンが引かれていた。残念だ……。15時15分という時間がいけないのか、正月明けだとか何か日程がいけないのか、そもそもお店がどうにかなってしまったのか(昨年はやっていたのだけど)、わからずじまいだった。店の前で立ち尽くしていると急に風が冷たくなった気がした。

 気温が下がるのと同じようにテンションが下がり、輪行して帰ろうかな、などと思う。すぐそこに内房線那古船形駅、道の駅鴨川には同じ内房線江見駅からアクセスできる。見越していたわけじゃないけど、輪行袋を持っている。

 那古船形駅の時刻表を調べてみた。

 1525発館山行き、1655発安房鴨川行き──。

 さすがに、これから駅まで走って10分足らずの時間で列車に乗ることは無理だ。とするとそれから1時間半後……。

 あまりの列車ダイヤに口が開きっぱなしになった。内房線外房線の末端はかなりのローカル線だとわかってはいたけれど、今を逃すと1時間半後とは思わなかったから。寒くなりかけて思ったのが、16時半を過ぎて走るのはもうつらいだろうなってことくらい。そもそも列車に乗るのがそれより遅いんじゃ話にならない。

(※:後日談だけど、よくよく調べてみると1525発館山行きからの、館山での接続列車安房鴨川行きは1609発。那古船形と館山とはひと駅だから、ここだけ走れば輪行できたように思える)。

 

 

 もう一度甘太郎屋のカーテンを恨めしく見て、出発する。直線的に走って20キロ強のはず。行きのような強烈な上り下りはもうないから、平均時速12キロで計算して17時には着くだろうと読む。

 

 帰路は県道だ。和田までひたすら296号。センターラインのある立派な舗装路なのに交通量は少ない。日曜の夕方という時間のせいか、それとももともとこの道を走る車自体が少ないのかはわからなかった。

 房総の丘陵をいくつか横切る県道は、少し上ってトンネルでその向こう側へ行く。そのたびにちいさな集落が現れる。千葉の僕が知る風景にここもまた変わりがなかった。

 牧場ばかりの場所もあった。あちらこちらに牛舎があり、屋根のもとでは牛が座って尻尾だけ振っている。僕を見る牛もいる。でも走る僕を眼で追うことは面倒なのか、首を回してまで追いかけようとはしない。視界に入っているあいだだけ見ているのか。目があったように見えてそもそも見てなどいないのか。

 丘陵部を越え東に向かうにつれ道が狭くなる。

 センターラインもなくなり、トンネル径も小さい。そういうところに限って木々も生い茂っていて、夕暮れ近づく時分、薄暗さが一層深みを増した。朝から吹いている強めの風が木々の枝葉を揺らすから、あちらこちらでわさわさと音がする。音の主が風だから、左で鳴ってやがて右へ抜けていく。木々が揺れると声もなく飛び立つ鳥もいたりする。

 ちょっと心細いかな、って思う。思ってから笑った。心細いって、そう思ってることを楽しんでないか。

 

 上方だけが丸くくりぬかれた、カマボコ型の狭いトンネルが最後だった。

 海を望む町に出た。和田だ。16時半、海や海岸線や家やその屋根や半島の崖や道や線路が赤く染まっていた。

 

 

 あとは国道128号を走ればたどり着く。

 僕は速度を落として、海を望む町の坂道を下った。

 記憶をひも解くと僕はこの坂道を走ったことがあるように思う。

 でもそのときの印象まで覚えていない。今日ほど強い印象があったようには思えない。

 夕暮れのこの時間が、きっとスパイスになったんだろう。

 

 

 17時前、道の駅鴨川へ戻ってきた。

 止ると、途端に震えが起きた。寒い。

 自転車を車に積み込んで、出発。線路沿いの国道を走っていると、安房鴨川行きの209系電車が追い越して行った。

 那古船形1655発、安房鴨川行きだね、きっとこれ。