自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

パッチワーク紅葉、すすき野原 - 御坂峠、河口湖山中湖、三国峠、明神峠(Oct-2017)/その1

 中央本線が混んでいる。

 いつも混んではいるのだけど今日はそれを大きく上まわってる。

 時間的にいちばん人気の高い列車であることは知っている。高尾7時06分発の甲府行き。

 自転車はそれほどいないのかな。占有率の高さでいうと圧倒的にハイカー。自転車がいないのかどうかという以前に、車内を見通すことができないほどだからわからないのだ。

 紅葉もいい時期だろうしね。おまけに先週、先々週と週末を雨と台風でまるまるつぶされている。堰を切ったように人が飛び出してくるのもわかる。それに考えてみたらこの週末は三連休だった。

 ハイカーは少しずつ下りていくはず。ひと駅ごとに、とまではいかないけど各駅ごとに降りていくようすをこれまで経験していた。

 でも今日は違う。乗客が減っていかない。降りて行くのは地元利用のスーツ姿やふだん着姿の人ばかり。数にしたら多くない。

 大月を過ぎ、笹子トンネルを抜け、甲斐大和。到着、今日はここで降りる。

 

(今日のルート)

GPSログ

 

 多くのハイカーが、本当に判で押したようにみな、この駅で降りた。

 橋上にあるちいさな無人駅の駅舎はザックであふれた。駅の外の狭い道にはバスが一台、彼らを吸い込んでいく。その後ろにもう一台待機している。さらにもう一台のバスが後ろにつながるように駅前に入ってきた。

 一度、山を歩いたときに乗ったことがあるバスだ。大菩薩嶺、上日川へ運んでくれる。

 あの登山ルートが今日、こんなに人気なのか……。

 

「自転車で上日川方面ですか?」

 駅前でひとり──何をしていたのだろう、交通整理をしているふうでもなく、人の流れを整理するわけでもなく──警官が立ち、僕が自転車を組み始めると話しかけてきた。

「いえ、御坂越えて河口湖方面に行きます」

「なるほどそうですか」

 

 駅前で今日一緒に走るMOさん、MIさんと合流した。

 三人で自転車を組んだり荷物を整理したり飲みものを買ったり。そうこうするあいだに一台目のバスが出ていき、二台目が駅前に入る。ハイカーが乗り込むとすっかり駅内外はひと気がなくなった。

「御坂峠への道路は、紅葉の時期でもあって交通量が大変増えています。じゅうぶんに気をつけて走行してください」

 警官は大勢のハイカーの方がつくと、また僕のほうにやってきて注意を促す。

「わかりました。気をつけます」

 と僕が答えると、

「特に今日は三連休ですのでさらに多方面からの車であふれています。危険のないように本当に気を付けてください」

 と念を押してきた。僕は少し笑って「ありがとうございます」と答えた。

 

「向こうまで行くの。良かったねえいい天気で」

 警官はどこかへ行ってしまった。さっき僕と警官とのやり取りを聞いていたのだろう、おじいさんがひとり、僕に声をかけてきた。

「本当です。二週続けて雨や台風ばかりでしたし」

 日が昇ってきた。さんざん悩んだ服も少しだけ厚めを意識したこの程度で正解だったかもと思わせる気温の上がり具合になった。空は青い。

 MIさんが行く前から気にしていた、「富士山が見えるかどうか」を聞いてみた。

「見えるんじゃないか? 今日は。ただなあ、向こうって天気が全然違うのよ、こっちが晴れてても雨だったり、多少暖かいかなと思っても向こうは雪降ってたり。最終的には山越えてみないとわかんねえな」

 おじいさんはそう言って笑った。向こうとはもちろん、富士河口湖町のことだ。

 

 

 甲斐大和駅を出発するとすぐに国道20号に出る。交通量も多く大型車も走るけどこれしか道がないのだ。笹子峠の西側、峠に向けて上りきった果て、国道20号が笹子トンネルに突入しようとする直前にこの駅がある。

 とはいうものの延々の下り坂で一気に駆け抜けてしまえるから、大きなストレスはない。どちらかというと勝沼大橋での高みのほうが、高所恐怖症の僕にはストレスだったりする。右奥に甲府盆地が広がる橋では欄干の下を見ないようにして……。そして中央道勝沼インターを過ぎた上岩崎原交差点で国道20号を離れる。すぐだ。

 国道20号を離れた県道34号は喧騒から離れた静かな道になる。ぶどう農園が左右に点在するけれど、ぶどうも終わったこの時期は人通りもほとんどない。耳が、静寂に慣れない気がした。

 甲斐大和の駅から国道20号で標高にして二百メートルも下ってしまうものの、甲府盆地の底辺まで下りるわけじゃないから、ときおり広がる盆地風景を遠くに望むことができる。

 

 御坂みちで旧道御坂峠へ向かう。

 御坂みちとは石和と富士吉田とを結ぶ国道137号に付けられた愛称。山梨県はこの「○○みち」っていう愛称がお好きなよう。ほかにも道志みち、富士みち、本栖みちや雁坂みちなんてのがある。ただ愛称の数でいうと「○○ライン」ってのも多いように思う。

 この御坂みち、現国道137号のルートに厳密につけられたものなのか、それともあいまいさがあるのか、正直よくわからずにいる。登坂車線と本線の二車線を車が猛スピードで上っていくバイパスを避け、選んだ交通の少ない旧国道でこの標識を見た。となるとこれから向かおうとする旧御坂峠の県道708号は御坂みちなのだろうか、それとも現国道の新御坂トンネルが御坂みちなのだろうか。

 

 旧国道御坂みちからさらに路地の道を分け入りながら進んでいった。道は淡々と上り勾配を続け、目の前に大きく立ちはだかる山々のどれかにつながっていることを思わせた。路地を進んでいくのは単に国道137号を走りたくないからで、できる限り生き延びようと、だんだんと国道137号に吸収されていくいくつもの道を横目に見ながら、並行して上って行けそうな道を進む。

 路地の両側にある家々では、どこも柿が鈴なりで、重たそうな実が細く伸びた枝をしならせていた。正統派の秋の絵だ。柿はきわめてその見た目が美味しそうに感じさせる果実だと思う。

 鬼から逃げまわっていた鬼ごっこが終息を迎えるように、国道を避けて走ってきた路地みちたちも仲間が減り、いよいよ最後の一本も吸収されることになった。右から国道137号が身を寄せてくると、その交通量から発生する強烈な轟音が耳に刺さる。甲斐大和駅にいた警官が言うように今日は交通量が多いのだろうか。登坂車線はまるでただの本線車線のようで、二車線を車が埋め尽くしている。勾配を登坂する車は力を必要としてみなエンジンをひときわ大きく唸らせていた。

「歩道で行きますか」

 あまりの交通量に、僕はそう提案した。ふたりもうなずき、広く取られた歩道をゆっくり上っていくことにした。

 

 御坂みちはこの国道137号を走る区間が最も勾配がきつい。車が多くそのスピードも速く横を走るのがおっくうな区間がいちばん勾配が厳しいとは皮肉だ。僕は御坂峠が大好きで何度か訪れているけれど、この国道137号を走る区間を切り取ってしまえたらどんなにいいだろうって、いつも思ってる。

 急な勾配でスピードも落ちる。この区間をあせらないようにゆっくり上っていく。上空を、リニアの密閉された線路が交差していた。切れ目なく走る車と天上を行くチューブのような線路は近未来の絵本のようだった。

「見事なパッチワークだなあ」

 MIさんが言った。

 なるほど道路の外に目をやると色とりどりに染まった山が奥行き深く望めた。どこまでも続く紅葉は見事だった。

「これ、今週がいちばんいいのかもしれませんね」

 と僕は言った。確かに、追い越していく車なんか見ている場合じゃなかった。

 

 最後のハッピードリンクショップを過ぎると間もなく、国道137号の旧道にあたる県道708号が分かれる。そしてそちらに進路を取った。分かれてからもしばらく国道の交通量から放たれる轟音が、遠い世界から反響して聞こえるように届き、やがて届かなくなった。

 三人で、ゆとりある気分でこの旧御坂峠への上りを進んでいく。

 ゆとりあるのは、この道がきわめて優しいからだ。

 勾配がゆるめ均一であるという物理的な坂の状況はもとより、季節にかかわらず、なにか包み込むぬくもりを持った道であるように感じる。

 木々が道を覆い、葉が色づき、紅葉のトンネルになった。新御坂トンネルに入って行った現国道137号の轟音はもう聞こえない。路肩は色づいた落ち葉で埋められ、気が向くとそのなかにわざわざ入り込んでみる。落ち葉を踏むとしゃかしゃかしゃかという。あまりやりすぎると落ち葉をフォークやフレームとブレーキとのあいだに巻きこんで、きゅうきゅうとノイズを放つ。それもまた楽しんでしまう。

「写真撮りたい」

「どうぞどうぞ」

 収めたいアングルを見つけると思い思いに自転車を止める。自転車を止める人がいれば、写真を撮っているその人を写真に収めたりした。何度も何度も、いろいろな風景といろいろな葉の色といろいろな道路の造形を、立ち止って楽しんだ。

 

 

 長いようで短いようであった。

 上り坂は向かい風と違って必ず終わりがあるから、なんて自転車に乗っているとよく言われるけど、違った意味でそれに合点がいった。もう少し走っていてもいいと思えるほどだった。葉っぱを踏みながら、徐々に高まっていく山あいの道を楽しみ続けていてもよかった。

 でも、これでいいのかもしれない。飽きずに最高に楽しめるところで終わる。これがいちばん印象に残ってくれるに違いない。

 車のすれ違いが難しそうな、ぽつりぽつりと等間隔にちいさな電灯が灯る細いトンネルの向こうに、井伏、太宰の天下茶屋が、河口湖が、そして富士山が、待ち構えているはず。

 待ってろ!

 

その2へつづく