自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

緑ゆたかな風景と望郷ライン(Jul-2017)

 こんなに素朴で、懐かしくって、それでも生活の時間はふつうに流れていて、そんなふだん着のままのような風景がどこをどう走っても見られるような場所だなんて思ってなかった。

 利根沼田望郷ラインを走ろうと、それほど深い考えもなく引いたルートにはそんな風景が息づいていた。

 道の成り行きを風景のなか目で追いかけた。微細な曲線を描きながら果てで一点に終息する道も、まわりにある家々や田畑も、川も山も、道に沿って張られた電線とそれを支える不均等に並ぶ電柱も、傾いた道路標識も、バス停や待合小屋も、そんないちいちが目に留まる。何度も立ち止まって感じるままに描写しようとカメラを構える。僕のスナップ写真程度の技術ではとうてい感じたままを写すことなどできなかった。それでも立ち止って風景をカメラに収めていった。


▼ 本日のルート

(GPSログ:GPSies


 キャンプである。

 夏になるとオートキャンプに誘われる。

「キャンプ場にチェックインするころ合流すればいいよね」

 と僕は身勝手な注文を出す。結果、僕は半日ながらサイクリングする時間を手に入れる。



 自分の分担になっているキャンプの道具と自転車を積んだ車を道の駅白沢に止めた。沼田、川場の里みちと望郷ラインを周遊するルートで30キロ少々。午前中で走るにはこのくらいの距離がいいんだろう。早速走り始めた。今日も暑くなりそうだ。

 望郷ラインをあとにまわし、まずは沼田の里みちをめぐる。望郷ラインを走ることを考えたとき、同じ道を二度走りたくない、かといって交通量の多い道で周遊ルートを組むのは避けたい、そう思って引いたルートだった。それが結果的に里みちだった。

 かつてスキーをやっていたことがあって、そのころよく車で沼田市を通過していた。特に国道120号と沼田の市街地、インターチェンジ近くは渋滞の多い印象があり、裏返しそれは街として発展した地方都市だという認識があった。河岸段丘の有名な地であり、幹線道路以外に道は多くなく、発展した街と渋滞が背中合わせになっているものだと思っていた。

 そのたまたま、「幹線道路を避け」「つながる道」を引いた結果の里みちはどうだろう。僕は偶然の産物ながらできあがったそのルートに感謝した。

 水田が広がり、流れる風に稲がそろって揺れた。一瞬、鶴にも見まごう飛び立った鳥は鷺だろうか。何羽も空に飛び、しばらく舞ってまた水田に着地するのを繰り返していた。

 河岸段丘のまさにそのなかを貫く道は、川が現れるたびに下り坂で川面まで駆け下りる。ちいさな橋を渡ると今度は急な上り。段丘を駆け上がる。駆け上がった場所からは広大な水田台地と、そのあいだの今走ってきた道が見下ろせた。ありふれた、でもここにしかない絶景だった。

 一段上がった段丘の台地は今度は果樹園だった。なるほど水は河岸段丘のえぐられた谷部に集まっているから、水田は低い土地に集まるのかな。そして斜面やその上の平らな台地は種々のくだものが作られている。りんご、プラム、さくらんぼ……おのおの農家に掲げられた看板を見ているとそんなものが多い。まだ小さく真っ青な実をつけたその果実は、プラムなのか未成熟のりんごなのか、僕にはさっぱり区別がつかなかった。きっと、トマトと言われればそう思っただろう。わからないから何にでも見える。

 県道に入ると直線的な、緩やかな上り坂の一本道になった。僕は発知(ほっち)という地区へ向かっていた。目的地は正直どこでもよかった。望郷ラインと、それをピストンにせず周遊でき、2、3時間程度で楽しめる距離と場所を探した結果だ。発知の奥、上発知という場所にしだれ桜がある。あるTVプログラムでそれを見たことのあった僕は、桜とは何の関係もないこの夏の盛りに、それを見に行ってみることにした。

 にらみを利かせた天狗の看板が沿道に増える。この道の奥、迦葉山弥勒寺が天狗の寺として知られるようだ。高尾山の薬王院のようなものらしい。今日の僕は迦葉山まで上って行くつもりはないが、ここはもう迦葉山への登り口なのだなとわかる。

 上発知のしだれ桜は県道から里みちに入り、すぐだった。一本、小高い丘というか塚のような場所に立っている。もちろん7月のこの時期だから木は青々としていて、植物にうとい僕には桜だと事前に調べてきたからわかる程度のものだった。知らなければこの青々と葉を茂らせた木が何の木なのかさえわからないだろう。

 TVプログラムに映し出されたそのときは、木の前にちいさなお地蔵さんがいた。地元の人がつけたのか、服を着て帽子をかぶっていた。しかしながら周囲に草が生い茂っていて、お地蔵さんがいるのかいないのかさえわからなかった。塚に上ってみればいいのだが、イノシシ対策(と書かれていた)の電気柵が周囲を覆っていて足を踏み入れることができなかった。僕にはこの桜がTVプログラムで取り上げられた桜なのかさえ怪しく思えてきた。あるいはてんで見当違いの場所に来てしまっていたかもしれなかった。でも、まあいいや、と思った。そこにはとっても心地いい風が流れていたからだ。


▼ 水田と現役古民家のなかを下って行く細い里みち

▼ そうだ、いよいよひまわりの季節だった

▼ 段丘の坂を上って、それまで走ってきた水田を望む

▼ これがそのしだれ桜? 違っていてもいいやという気分、風が心地いい



 上発知からの戻りルートで早速望郷ラインに入った。

 川場村へ向けてこれまでゆるゆると上ってきた斜面を下る。その道が眼前に一直線に映った。豪快な景観だ。発知の県道(266号)が集落のなかを貫いているのに対し、こちらは並行しながらも緑の水田のなかを貫くからだ。その景観を眺め、写真に収め、カメラをしまうと自転車を走らせた。なにもせずとも自転車はぐんぐんと速度を上げた。緑の水田のまんまんなかを、風を受けながら進んでいった。


 蔵カフェというところで休憩を取った。

 それは川場村にある永井酒造のカフェで、望郷ラインのすぐそばにある。

 かつての酒蔵をカフェに改装し、そこで仕込み水を使ったコーヒーや、麹や酒粕を使ったドリンクやスイーツを楽しめる。仕込み水で出されたお冷やが冷たくておいしくて、暑さに負けてアイスコーヒーにしようかと思っていたけれど、迷わずホットにした。仕込み水がのどの渇きをうるおしてくれた。


▼ 発知の水田地帯を下っていく望郷ライン

▼ 蔵カフェに到着、休憩

▼ かつての酒蔵はこうなった

▼ 仕込み水で入れたお冷や、仕込み水で入れたホットコーヒー



 田園プラザの名を持つ道の駅川場は、TVで何度も取り上げられている場所だけあって、すでに駐車場は満車だった。乗用車も大型観光バスも、隅から隅までびっしりだった。ずいぶん前に車で一度来たことがあった。何が手に入るんだっけ? 何が食べられるんだっけ? ──何がこれだけ人を引き寄せるのか、さっぱり忘れてしまった。

 望郷ラインはいよいよ長い上り坂にさしかかった。急勾配というほどではないけれどしっかり上る坂になった。気温もかなり上がっていて、バテてきた。

 休んだ蔵カフェあたりから道も高規格になっていた。交通量は少ない。これだけきれいな道路を我がもの顔で走れるのはとても気持ちのいいことだ。でも暑さが強烈だ。周囲から水田がなくなり、涼しさがなくなった。水田があれば水の流れがある。川面を抜け、一面の田んぼを流れてくる風は涼しい。気温が徐々に上がった日中、その風を受けられない場所にあるこの道では、ひたすら暑さと戦うことになった。

 道は上り続ける。その途中、河岸段丘を一望できる展望台があった。沼田が河岸段丘で有名になったのは、教科書にも取り上げられているということもあるだろうけど、TVプログラムのブラタモリで取り上げられたことは大きいと思う。それまではこれほど声高に河岸段丘というキーワードが使われていなかった。マスメディアの影響力を実感した。

 僕は駐車場を横切り、誰もいない展望台に上る。

 朝から走っていた里みちなんてはるか眼下で、ちいさくて見えやしない。一面の緑は森や林、水田、果実畑。それと点在した集落。もちろん国道とそれに沿って発展した大きな地方都市も望める。ここはスキーの行き帰りで渋滞のなか通るだけの街じゃなかった。いろんな感性を刺激してやまない、たくさんの風景がそろっていた。


 ここは、たった半日じゃもったいない。


▼ 高規格道路の望郷ラインを上って行く

▼ ずいぶん高いところまできて、木々が途切れると沼田市街地や子持山が一望できる

▼ 望郷ラインの展望台まで来てみたけれど、薄ぼんやりとした夏独特の霞みに全体が覆われている


 展望台の駐車場には何台かの乗用車と、大型バスまで止っていた。しかしながら誰も景色を眺めに下りてはいない。ほかに何をするでもないただの駐車場で、みんな何をしているのだろう。不思議だった。

 展望台の先まで行くとやっとピークが訪れる。ここまでくれば国道120号に向けて下りのはず。ほっとした。ほっとすると同時に、暑さのなかペダルを漕ぐ気力が一気に失せていくのがわかった。


 山のほうに、怪しげな雲の層が見える。ほかにも入道雲がひとつだけじゃない、いくつも立ち上っている。キャンプ、大丈夫だろうか。それよりも、こういう雲は一気に豪雨が襲ってきたりする。僕自身も雨を気にしなくては。急いで車に戻ろう。急に気になりだした雨ばかり案じながら、照り返しでたぎる暑さの高規格舗装のうえを休まず下っていった。