自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

富士と水と桃と/山梨県東部・峡東/水の巻 (Jul-2017)

 あやうく道志みちからの山伏峠越え、さらには山中湖河口湖をめぐったあとの御坂峠越え、そんなサイクリングになるところだった。橋本駅からのルートを引いてみると距離が120キロ、そのコースプロフィールは上りと下りしかない、全線が山岳ルートのようなものだ。

 橋本駅での集合時間まで話は進んでいた。

 前日の土曜日の暑さを受け、KさんSさんはゆうに30度を超えた気温下でのサイクリングを考慮してくれた。そこで僕は別のルートを提案する。起点は中央本線大月駅

 正直ほっとした。

 

 Kさんから突然振ってこられたサイクリングは初め、何が何やらわからず、それにその週末はすでに予定が埋まっていて、残念ながら参加しますとは答えられなかった。

「日程まできっちり決めているわけじゃないんで、もし都合がつくなら行きましょう」

 そのときはそこで会話が終わっていた。確か、二週間くらい前の話だ。

 しかし週末の予定がキャンセルになることがわかった金曜日、週末が空き、この話を思い出す。そして「日曜日なら行けそうなのですが」と連絡を入れた。

「ちょうど日曜日で話を進めていたところだったんです」

 とKさん。そこから話が展開し始めた。

 そこで僕は話の流れを立ち戻って確認することにした。どうやら桃のパフェを食べに行こうという話題だ。今が旬の山梨の桃、それをまるごとひとつ使ったパフェがあって、もちろん今の時期限定のものだそうだ。店は山梨市にあり、待つことを覚悟する盛況ぶりだという。

 それがなぜ、橋本から道志みちをまわっていくのか解せなかったのは僕の自転車ポテンシャルが低いからなのけど、あとから誘われただけの参加者だし、考えられたコースであればそこに行って足を引っ張りすぎないように祈るばかりだ。それに御坂峠は僕にとって魅力でもある。大好きな道だ。しかし自分のGPSマップに入れようとルートを引いてみると、距離にして116キロ余りとなった。さすがにこの距離どうなんでしょうとルートを連携はするのだけど、考えてみると健脚のサイクリストにすればそれはふつうの距離だったりもするからややこしくなる。

 高温酷暑と熱中症搬送のニュースがトップに流れた土曜日の夜、僕は大月スタートとなる代わりのルートをKさんとSさんに見せた。

 

 

 高尾始発の普通・河口湖行きはてっきり中央線快速電車のE233系でやってくるのかと思ったら、211系だった。ついこの前まですべての普通列車が115系だった中央本線は、あっという間にすべてが211系に置き換わった。その211系が富士急行まで乗り入れるのが目新しく映る。編成が3両で組まれているのは115系のころと同じ。後ろには大月止りがつながれていて、2編成6両での運転だった。

 僕は自分の下車駅でもある大月止りの車両に乗り、天気を案じて窓外を見ていた。前日、コンポーネントを取り換えたばかりの自転車を試し乗りしていたところ、10キロも満たないうちに暑さと湿度でダウンしてしまったから。暑い夏の疲労が半端じゃなかった。

 確かに日差しは厳しい。しかし大月駅で落ち合ったKさんと、日陰で自転車を組み上げながら感じた風の流れは心地よさがあった。ずいぶん早くに着いてしまったのだというKさんとともに自転車を組んでいるところへ、数分後に着いた特急あずさからSさんが降りてきて合流した。この風が今日、ずっと流れていればいいのにと話した。

 

 僕の用意したルートは富士吉田へ直線的に向かうルートながら、一度も幹線の国道139号を通らないものにした。何年か前、友人のUさんとT君で走った──確か大月を起点に、朝霧高原から富士宮に抜けたのだ──同じようなルートをアレンジしたもの。そのときのルートは何度か、そこかしこで国道139号を走ることになった。今回は路地みちをふんだんに取り入れて、国道には出ないように引いてみた。

 リニア実験線を見上げ、細かな分岐をたどる。ときに曲がり角を間違える。路地みちは複雑で、つながっていなくて、なかなか要領を得ない。

 道は広くなったり狭くなったりを繰り返す。道なりに進んでいるところも多いのに、センターラインや広い路側帯もあるきれいな道から突然住宅が並ぶ塀のあいだの路地に引きずり込まれたりした。路地に入るとどこか懐かしくって、夏の照りつける日差しとコントラストの強い日陰、蝉の声、木々の深緑が、まるで子供時分の、夏休みに遊びに来たどこかの田舎町のように思えた。

 僕が「あっ」と言う。

 その1秒後にKさんが「あっ」と言い、また1秒後にSさんが「あっ」と言った。

 そして立ち止った。行きすぎた百メートルほど手前にはなにがしかの湧水と書かれた泉と、日陰を作ってくれているあずまやがあった。

「戻りますか」

「戻りましょう」

 そこには長慶薬師霊命水源と看板があった。自転車を置くと、それぞれが水に手を浸す。頭や首に水をかける。冷たくて、暑さにほてった身体が対応できない。少しずつ身体が涼を感じ、熱を冷ましていった。

 あずまやのベンチに腰を下ろすと、風が抜けて行った。朝からの風と同じく、からっとしていて、僕が前日に感じた走ることもままならない空気とは違うものだった。風が身体のまわりをひと巻きして抜けていくと、これもまた体の熱を冷ましていくようだった。

 僕らはしばらくあずまやで休憩をした。

「飲めるといいのに」

 とKさんが言う。

 確かに。これだけ冷えて澄んだ水は、飲めるならきっと美味しい。

 それからしばらく休んでいると近所の方が出てきた。あいさつとともに、「この水は飲めるんですか?」とSさんが聞く。「飲めますよ」と言う。

 僕は早速ボトルの中身を入れ替えた。これは汲まない手はないでしょうとKさんも入れ替える。Sさんも。

 入れたボトルからひと口飲む。そうすると柔らかくて澄んだ味が口に広がる。そして冷たい。富士の伏流水が溶岩のあいだをたどってこうして湧いて出るのだ。

「25年かかるらしいですよ」

 とSさんが教えてくれた。富士山に降った雨や雪がこうして水になって地表に現れるまで、それだけかかるんだそうだ。ありがたい水なんだと思う。

 

▼ 河口湖行き中央本線普通列車

▼ リニア実験線の下、最新技術と田舎道

▼ 道ばたの湧水、長慶薬師霊命水源

▼犬も喜ぶ冷たい泉

 

 路地みちを走っていてずっと気づいていたのだけど、驚くほど水の豊富な場所だ。路地みちには必ずと言っていいほど脇水路があり、そこにはあふれるほどの澄んだ水が勢いよく流れている。どこもかしこもだ。多くは水田が広がり、そこに水を引く。住宅が連なる集落に入っても道の脇にはそのまま水路があり、その風景があまりにも自然なのだ。僕が子供のころ、夏休みになると訪れていた愛媛の母方の家のまわりにも同じように脇水路が張り巡らされていた。水は絶えず音を立てて流れ、その音と流れるようす、稲が伸びてじゅうたんのように並び、ときおり風がその上を撫でるように流れていくさま、そんな光景が僕の懐かしさの原点にあるのかもしれない。僕はこの大月から富士吉田へ向かう夏の路地みちが大好きになった。

 並行して走っている富士急行線がのどかだ。電車がやってきてくれないかなあと思う。

 大月から富士吉田に向かっていくと、どの道にせよ上り基調だ。国道139号であれば淡々と直線的に、緩め均一のアングルで上って行くのだけど、僕が引いたルートは下ってからの上り返しもある。きつい勾配が続いてびっくりするような場所もある。坂道と勾配だけ考えるなら国道139号なのだろうけど、きつくてもこのルートはいい。道もいい。景色もいい。水もいい。

 道は線路と離れたりくっついたりを繰り返しながら、三つ峠の駅に出た。駅の裏側の路地で、ホーム上の木造屋根に、駅裏という名の焼鳥屋に、ちいさな区画に満開に咲いた色の濃いヒマワリに、いろんなものに惹かれて自転車を止めた。鉄道模型ジオラマに作られた、雑多に押し込まれた駅前風景みたいだった。

 やがて遠くの踏切が鳴って、大月のほうから列車がやってきた。クリーム色と赤色の懐かしい塗装の国鉄特急車両だった。なんだか少しだけ得した気分になった。僕らの目の前の踏切は鳴らない。この駅でしばらく止るようだ。

 しばらくすると目の前の踏切が鳴りだし、富士山──かつての富士吉田駅なのだけど、いまだに僕はこの駅名に馴染めずにいる──からの電車が下り坂の右カーブをゆっくり下りてくる。ホームをはさんで対面している線路はなぜか右側通行で、微妙な違和感を覚えつつも、国鉄特急の出発を待った。

 

 国鉄特急の出発を、僕とSさんはかつての雄姿をレンズで追いかけながら、Kさんは乗客と手を振りあいながら、見送った。かつての国鉄特急は、「快速」と書かれた文字だけのヘッドマークを掲げて、国鉄時代には走ることもなかった頼りなげな細いレールの急カーブをゆっくり上って行った。

 それからさらにあとを追うように線路沿いを進む。夏の色の濃い坂道を上っていく。夏色の風景を見つけるたび、誰からともなく立ち止って、写真に収めていく。

 相変わらず線路沿いに進むと、大きな、こぎれいな駅が見えてきた。下吉田駅、とのれんがかかっている。駅前にはブルートレイン国鉄急行型が置かれている。入場料を払うと駅のホームの側から見学できるらしい。人はひとりだけだった。

「吉田うどん、食べたいなあ」

 というのは三つ峠のあたりからもう、三人で言い始めていたことだった。ここで時計を見ると11時を過ぎている。

「いい時間かもしれませんね」

「どこか知っているところはありますか?」

 というと、Sさんがスマートフォン片手に当たってくれた。Kさんは食べたことがないと言い、僕はもう10年くらい前、飛び込みで入った吉田うどんののぼりが出た店でびっくりするようなおいしくないうどんを食べて以来、おっかなくて食べてないっていう話をした。

「その店ってどこにあるんですか?」

「もうないです。僕が行ったのちそうそうにつぶれてしまったみたいで」

 と、横でのん気に話などしているあいだにSさんが調べてくれ、

「ここから500メートルくらいのところに、有名なお店なんですけどあります」

 と言う。いいですよ、いいですね、行きましょう、とSさんを先頭に吉田うどんトレインを組んだ。

 

▼ 脇水路が縦横にめぐらされた都留市内の路地みち

富士急行線にそって

三つ峠駅に入線してきたホリデー快速

▼ 行き違いの対向列車は元京王車、片開きドアが懐かしい

▼ 目に留まる風景に幾度となく立ち止る

▼ 真新しく大きな下吉田駅

▼ 駅前にある15形ブルートレインと165系急行車

▼ 11時半にして大混雑のみうらうどん

▼ コシの強烈な吉田うどんを肉つけで

 

 店内は雑多に広く、いくつもの座卓が並べられていた。次から次へと客が来ては食べて出ていくさまが、香川のさぬきうどんの店を思わせる。初め、その混雑に引いたけど、この回転の速さならすぐだと思った。

 かくして吉田うどんである。かつてそのおいしくなかったという僕の経験した吉田うどんから、「こうじゃないだろう」と思っていた。さすがに吉田うどんのすべてを表したものではないと。ただどこに行けばおいしいうどんを食べられるのか見当がつかなかったし、及び腰にもなっていた。

 肉つけの並をお願いした。Sさんのように大盛りにしてもよかったのだけど、単純に倍なのだそうだ。そして先に運ばれているテーブルのそれを見て、この先御坂峠を上ることを案じる。

 運ばれてきたうどんで僕は吉田うどんのコシを知る。つけ汁との相性を知る。なるほどこういうおいしさかと知る。そしてどんどん入る。並盛りは物足りなくさえあった。大盛りもきっと食べられるだろうと思った。替え玉もあった。しかしながらさすがに倍を食べることは自制した。

「替え玉は結局頼まなかったんですか?」

 食べ終えた器を下げに来たお姉さんが言う。注文を取りに来たときに、大盛りの量はどれくらいなのかを聞いたから覚えていてくれたようだ。替え玉もありますから、まず並を食べて足りなければ替え玉にするっていう方法もありますよと教えてくれたのだ。

「自転車なので、さすがに満腹ってわけにもいかず……」

「そうでしたかぁ。──あ、大盛りと並盛りのちょうどあいだがあったんですよ。1.5倍ちょっとくらいの。ごめんなさーい、今言うなって感じですよね。先に言えばよかったです」

 僕はいささか唖然、そして悔しがった。そしてそのとおり、こちらのツッコミたい言葉まで完全に先に言うし。

 

 ずっとつかず離れずで走ってきた富士急行線ともいよいよ別れた。路地みちルートもネタが尽きたように終り、おひめ坂通りから御坂みちへつなぐ。大・観光地の道路はそれまで車のほとんど来ない道に馴染んだ身体を順応させるのに苦労した。河口湖が左手に現れ、湖面が輝く。湖面の上にかかる河口湖大橋が渋滞している。その道へ合流し、交通量がさらに倍になる。いよいよこれから御坂峠を目指す。山に入る前に補給に寄っておきましょうとSさんがコンビニを探してくれた。

 

(後篇:「富士と水と桃と/山梨県東部・峡東/桃の巻」へつづく)

 

 

(本日のルート)

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