自転車旅CAFE

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駅そばと旧友

 駅そばが好きである。ふつうにそばも好きなのだけど、駅そばも好きだ。立ち食いそばも好きだけど。

 そば通からすれば駅そばや立ち食いそばはそばではないらしいけど、僕からすると駅そばや立ち食いそばというのはいわゆるそばとはジャンルの異なる食べ物だと思っていて、同列に比べたりしない。だからあえて駅そばや立ち食いそばという言い方をする。

 

 出向いた先に駅そばがあれば、食べてみたいと思う。ただこればかりはおなかの事情と相談になるところだから、そこに駅そばがあってもいつもというわけにはいかないのだけど、可能であればそうしたいと思っている。駅弁に比べたらむしろ駅そばのほうを好んでいる。僕は出向いたその地で駅そばを食べたい。

 そして、どこそこの駅そばが食べたいと、わざわざ出かけていくこともある。

 

 かつて関東、首都圏の駅にある駅そばは総じてつゆが真っ黒だった。醤油でも飲んでるんじゃないかと、特に西のほうの人は言うに違いないほどの黒さだった。

 しかし最近じゃ、ずいぶん薄いつゆが多くなった気がする。

 全国的な客層への見た目、味覚のアプローチなのか、あっさりしたものだなと思うものが多い。

 でも僕は、かつて食べていた真っ黒なつゆの駅そばが大好きだ。あれはじつは見た目から感じられるほどしょっぱくはない。

 

 そういう駅そばが静岡にある。

 静岡駅のホームにある「富士見そば」だ。ここのそばはかつてみんなこうだったよなあと思い返すような真っ黒なつゆで食べられる。しかもしょっぱいと思うことはない。

 僕は思い出したように駅そばを食べに出かけたりするのだけど、この静岡駅の駅そばも、思い出しちゃ食べに行く場所のひとつだ。

 

 僕が駅そばなる存在を知ったのは小学生の時だった。

 旅や鉄道に興味を持ち始めていた小学生のころ、鉄道にやたらと詳しいS君というクラスメイトと友達になった。小学校は東武伊勢崎線の線路に面した場所にあり、休み時間に廊下に出ると、走る東武線をながめながらいろんな話をした。ちょうど時代はくすんだベージュと朱色のツートンカラーから、クリーム色一色への塗色変更のころで、やってくる電車一本いっぽんで話題には事欠かなかった。S君は何に関しても詳しくて、僕にいろいろな鉄道の話をしてくれた。

 小学生の僕らにやがてブルートレインブームという大きな潮流が押し寄せ、僕らは波に飲まれるがごとく始発電車で写真を撮りに出かけた。S君は上野駅と東京駅の特急列車の発着時刻を綿密に調べ上げ、僕を引っ張りまわすように写真を撮っては両駅を往復した。すき間の時間ができると、ふたりで上野駅のホームにある駅そばでそばを食べた。

 なんてうまい食べ物なんだ──、僕は心からそう思った。そばを一気にすすり、夢中になってつゆまで飲み干した。

 旅に傾倒していった僕は、S君を東京近郊区間の大まわり乗車に連れ出した。国鉄の初乗り運賃で、一筆書きになるコースであれば大回りに乗ることができるルールだ。上野から御徒町までのきっぷで川越や八王子、茅ヶ崎をまわったりした。大網から成東、成田から我孫子をまわったりした。川越線八高線、相模線はまだ気動車だった。朝6時台の高崎線にEF58という電気機関車が牽く旧型の客車列車があった。

 そんな時代だった。

 そうやって鉄道旅に出かけたときもまた、その途中どこかの駅でふたりで駅そばを食べていた。

 つゆは、どこも、当たり前のように真っ黒だった。

 

 駅そばとの付き合いはそれからずっとだ。変わることがない。地方に行って駅そばを見つけたりすれば、この辺りではどんなそばを出すのだろうとむしろ大人になった今、全国区で駅そばを楽しんでいるのだ。

 

 
 小学校の卒業と同時に転居してしまった僕はS君と会う機会を失った。それ以降会うことはなくなってしまったが、小学生の時分、S君から教わったり影響されたりしたことはたくさんあって、それから先にも影響を与えたり思考の基準になったりした。

 そんなS君が今、鉄道の有名雑誌「鉄道ダイヤ情報」の編集長になっている事を何年か前に知った。S君と会うこともなくなってしまいそれきりで、もちろん本人に会えることもなく確認したわけでもないけれど、鉄道ダイヤ情報誌の編集長であることは間違いないようだ。首からカメラを提げ、一緒に駅から駅へと列車を追いかけていた彼が、大人になり夢を形にしている──。

 僕はそれを知ったとき、猛烈に感動した。心のなかて強く、大きな拍手を送った。

 と同時にS君は雲の上の存在になってしまった。

 素晴らしいとか、うらやましいとか、そんな言葉を並べること自体が不毛なほど、興奮することだ。

 しかし僕はどうだ。活字への夢とあこがれを持ち続けていることに変わりはないものの、その努力を続けていると言えるか。実現に向けた努力という形ではなく、ただ書き続けるという行為だけでこういうところに文章を残しているにすぎないじゃないか。

 

 駅そばを食べるたびに僕はS君を思い出す。

 そして彼の立派さ、偉大さに感動し興奮する。と同時に、何かの一歩を踏み出すことなく現状に甘んじているに過ぎない自分の力のなさと努力不足に落ち込みさえする。

 恰好いい。S君は深く尊敬する人物のひとりである。