自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

奥州街道から西那須野へ(ラーメンサイクリング)

 宇都宮で日光街道と別れた旧奥州街道は、現代の国道4号やJR東北本線とは離れて、鬼怒川の左岸を北上していく。今は白沢街道と呼ばれる──奥州街道は国道4号に冠せられているからか── 旧奥州街道は、県道の125号。旧河内町の丘陵部の緩やかな上り坂を終え、今度は駆けおりるように下るとそこは白沢の集落。かつての白沢宿だった場所だ。

 僕はひざ痛に悩まされ、その緩やかな坂さえ上ることが大変で、進むことも続けていられなかった。まだ宇都宮、目的としている経路の半分に過ぎない。


 

 僕は週末に向かって、白河ラーメンが食べたい衝動に駆られていた。それもとら系のラーメンが食べたいと思った。あと一週間もすれば春分の日、ずいぶんと日も長くなってきた。ならばいっそ白河の本家、とら食堂まで行ってみたらどうだろうと考えた。とはいえ人気のラーメン店だから行列必至、もし混んでいて入れないようなら白河のとなり西郷村にあるとら系、彩華に出かけてもいい。

 

 記憶、というかブログを掘り返してみると、僕は5年前に同じことをやっていた。とら系白河ラーメンが食べたくて、白河を目指した。結局このときは西郷村の彩華を訪れた。

 西郷村白河市のすぐとなりにあり、背に奥羽山脈の山を構える「村」でこそあるけれど、東北新幹線の駅「新白河」があって、平地の部分は東北自動車道や国道4号も通っている交通至便、立派な地方都市の顔をしている。

 5年前の記憶を呼び起こしつつ、ラーメンを食べるという衝動のまま、僕は北へと向かっていた。

 

 

 白沢宿の道路脇の水路をながめながら、僕は5年前のルートのトレースをあきらめた。自転車を止め、僕はもうこれから白河にはたどり着けないことを実感した。

 当時の記事によれば、そのときもひざ痛に悩まされていたらしい。でも今日の僕はさらに足が何度かつりそうにもなり、走るためのスタミナもすでに切れていた。時間もそのときよりも何時間も遅い。出発は同じ時間であったのに──。

 

 白沢宿の町なみに記憶はなかった。

 5年前のそのときだけじゃなく、白沢を通っていることは何度となくあるのに覚えがない。あるいはいつも、この白沢の中心街をバイパスする(そして距離も短くなる)県道をそのまま走っていたのかもしれない。

 街道の両脇に配された水路は静かな町を懐かしく演出していた。水路の途中には何箇所か水車が置かれており、音もなくくるくると回っている。水路にはコイが優雅に泳いでいる。

 新しく整備された町なみにも見え、これらは演出の一環なのかもしれない。

 それでもここにいることで気持ちも落ち着いてくるし、居心地の良さも感じる。転落などの事故を嫌って路地水路はふたをしてしまうことが多いように思うけれど、それをあえてこうして配して、旧宿場町の趣を残そうという姿勢には敬服する。

 しかし静かだ。

 

 車が多くないのは、県道がバイパスしているからだろう。しかも短絡路であるから。

 そして人通りも少ない。

 町にはここがかつての奥州街道であり、その18番目の宿場に当たるこの地を表す看板や説明板がある。古くから残されている建物もある。保存の条例があるのかわからないけれど、その時代々々の建物や町がそのまま残り、ときを越えてここにある町なのだと実感できる場所だ。しかしながら昨今人気の旧街道、旧宿場町の観光客による賑わいがなかった。町として、ぽつんとここにあるだけだ。

 おそらく、観光目的の商店、飲食店がないからだろう。おのおのの生活があり、そのうえに成り立っている町のよう。観光を生活の源泉にしている家はなさそうに見えた。

 

 街道はやがて鬼怒川を渡った。橋からは高原山とそこにつながる那須連山の見事なまでの風景が青空のもとに広がっていた。澄んだ空気のなかにはっきり見える山々は、じっさいの奥行きを錯覚させるほど近く、よく見えた。

 

 

 JR氏家駅前でまたひと休みし、そこから佐久山に向かった。

 喜連川はまわらずに、直線的に佐久山へ向かう。県道の48号を使った。

 もう白河へ行くことはあきらめていたから、あとはどこで昼食にしてどこから帰るかだ。

 とら系ラーメンを食べに行くというもともとの動機を実現できるラーメン屋が西那須野にあることを発見した。西那須野で終わろう──。感覚的には30キロくらいか。そこまでは走ろう。

 

 佐久山から大田原に抜ける道を走っていると、セブンイレブンが見えてきた。ここ、5年前に休憩を取ったセブンイレブンだなと記憶がよみがえった。確か11時半くらいに立ち寄った記憶がある。今日はもう13時──。

 大田原からは西那須野に向かうために奥州街道を離れた。進行方向が北西に変わると、風の強さを強烈に実感した。

 まったく進まなくなった。ここまで何度も、それこそ何もない場所で立ち止まって、それからまた走ってをくり返しているのに、さらにひどくなった。最後の10キロに1時間を要した。

 

 西那須野まで来た、という実感はまったく湧かなかった。

 

 

 店のなかに入れば、強い風のことも忘れて、差し込むやわらかな春の日差しを感じられた。僕のほかにふた組のふたり組とひとり客がひとり、広々とした店内だった。テレビから土曜の午後のバラエティが流れている。アルバイトの女の子が「お決まりですか?」と聞く。

「中華そば。あと餃子をいただけますか」

 そういえば白河ラーメンを食べに行って餃子を一緒に頼むことがあまりない。白河ラーメンに限ったことじゃないかもしれない、あまり僕はラーメンと餃子という組み合わせをしないかもしれない。でもなんとなく食べたくなっていた。

 混んで席が埋まるということはないけれど、ひと組帰るとまたひとり入ってきて、とそんなふうに入れ替わり客が訪れていた。

 

 西那須野の駅まで数キロ距離を残していたけれど、おおむね追い風なのと下り基調なのとで、幸いペダルさえ漕がずに駅に向かった。

 

 

 駅に着いたらずいぶん寒い。

 まだ三月だからだろうか。それとも西那須野という地まで来たからだろうか。

 使っていない18きっぷも持ってはきているが、ここからであれば片道運賃のほうが安いので、パスモで改札を通った。

 15分ほど待って、黒磯からやつて来た宇都宮ゆき普通列車に乗ると扉が半自動扱いで押ボタン式の車内はあたたかかった。がらんとした車内に傾いた西日が差し込んだ。