自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

夕暮れと夜のあいだ

 その街の雰囲気に触れるのが好きだ。どこであれ、自分の住む街との違いは旅情をかき立てるし、違いがあればあるほど、独特であればあるほど──もちろん好き嫌いの差はあるにせよ──、旅の途中に自分が置かれていることを実感する。

 関東は、やはり違いが少ない。それは僕が住んでいるのが埼玉県で、その近隣だからというのもあるだろうし、関東はいまやいろいろな地方の人びとが多く暮らしていて独自の風土や文化が薄れてしまったからかもしれない。同じ関東でも秩父や北関東でも東北とのきわに近いほうであれば違いを感じられる。

 

 その街の雰囲気を強く感じるのは夕暮れから夜にかけて。夕刻の薄暮から夕暮れの闇が訪れ、やがて夜の闇に変わる。街に、その街が持つ独特の雰囲気が色濃くにじみ出す。

 夕暮れと夜のあいだには特別な闇がある。夜の闇とは違う、夕暮れの闇。言葉にもある「夕闇」がそれにあたるのかな。夕闇を辞書で引くと、「日没後、月が出るまでの暗闇、またその時間」とある。そうであるような気もするしそれとは違う気もする。

 

 夜の闇は安堵だ。 一日の務めを終えた人びとが夕食の卓につく。テレビを見たり晩酌をしたり入浴で体をほぐしたり。そんなあらゆる安堵が積み重なって夜の闇はできている。

 対して夕暮れと夜のあいだに現れる闇は深い。まだ一日の緊張感からほどかれない時間。人の心の底にある闇、自覚意識さえ薄い自分を縛りつけている考えや概念や感情。──夕暮れの闇は人の心の闇によく似ている。夜の一歩手前、街は緊張感で破裂しそうな闇に覆われる。そんな時間に知らない街を歩いているとぞくぞくっと背に電気が走る。

 

 旅に出て、その時間に街を歩く。楽しみのひとつ。

 

 

 何年か前、自転車で伊那街道を旅した。三州街道ともいうこの道を、東海道の岡崎から北へ、長野県は甲州街道の岡谷へ向かった。

 一日目、飯田に宿を取っていた僕は駅から少し離れたビジネスホテルに投宿した。

 チェックインは夕方5時を回ったころだろうか。荷物を置きシャワーを浴び、身軽な恰好に着替えた。──と言っても自転車で極力荷物を減らしているから、着ているTシャツを替えたくらいであとは一緒だ。時間は夕刻6時半になっていた。

 夕食を求めて宿を出る。街を歩いて店を探すころ、闇が僕を覆った。ちょうど夕暮れと夜のあいだの闇だった。大通りも人は多くない。きっと多くの地方都市と同様、ほとんどの人が車で生活しているのだろう。歩いている人がいない。僕を覆うのは重い闇だ。まるで電気風呂に浸かったときのようなちりちり、びりびりとした感覚が背中にあらわれる。僕は歩いていることを楽しんだ。点滅する、歩行者の青信号さえ重々しく見える。楽しい。でも歩き回っていないで店を探して入らなくちゃならない。いくつかのめぼしい店がすでに終わっているようすで、夕飯を食いっぱぐれることは避けたい。しばらく歩いて見つけた定食屋に入った。

 とんかつ定食を食べた。店ではNHKの6時台のローカルニュースをやっていて、やがて天気予報になった。その土地での天気予報も土地を強く感じられるもののひとつ。ウェブの天気予報には出てこない、県内での地域の独特な呼び方が、何の説明もなくごく当たり前のように使われるのがいい。──北信、東信、中信、南信。天気予報はそう言った。飯田は南信に含まれるらしい。

 おなかを満たし、定食屋を出るともう夜の闇に変わっていた。僕を包むびりびりとした電気はもうない。安堵の闇。

 今度は闇の安堵に気分を任せ、僕は宿までの道を楽しみながら帰った。

 

 青森を旅したときは列車のなかだった。

 僕はその日、津軽半島の港町蟹田に泊まろうと青森市から海岸線を北上していた。宿は取っていなかった。土地勘というか距離感のない青森県を走りながら、その日蟹田まで行けるんだという確信を持てたら宿を手配しようなどと考えていた。午後3時を過ぎたころ、蟹田の宿に電話をかける。一軒日、断られ、二軒目も断られた。満室だと言う。三件しかない蟹田の宿は呼び出し音からしてもう三件目でも満室の予感を感じた。まさにそうだった。途方に暮れた僕は見当違いの方角の下北半島、大湊の駅近くでやっと宿を確保した。

 サイクリングをしているのか輪行をしているのかわからなくなる自転車旅は、津軽線青森駅に出て東北本線から大湊線に乗り継いだ。旅のさいちゅう天気は概して悪く、列車から沈む夕焼けを見ることはできなかった。けれども夕暮れの闇は間違いなく訪れた。重い闇が列車を包み、車内の人は駅ごとにどんどんと降りていった。荒涼とした草原と雑木林が交互にあらわれ風景は、色を闇に奪われていく。それは受け止めきれないほどの台地の大きさをさらに強調するようだった。北海道とはまた別ものの半島の平原は、人に生き続ける強さを求めているように思えた。何しに来たの? そう言われているような気分になった。

 大湊の駅を降りるころは夜の闇に変わっていた。改札を出た僕はほっとした気分になった。宿までは近く、少し自転車にまたがればすぐに着いた。僕は急な宿泊を詫び、おかみさん(恰幅のいいおばさんだった)は食事の用意ができないことを詫びた。僕は部屋に荷物を置くとそのまま、教えてもちった小料理屋に向かった。着の身着のままとも言える。それでも夜の間はあたたかくて、ほっとさせてくれた。