自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

南会津紅葉劇場/南会津周遊(田島、舘岩、伊南)~その1~

 今日は写真を撮ることをだんだんとやめてしまった。あきらめてしまったのだ。

 どこへ行っても、いつまでたっても紅葉の風景だった。黄、薄紅、深紅、それからそれらの中間色。上手い具合にバランスよく緑もある。紅葉が進む前の淡い緑と、常緑の深い緑。

 ぜいたくな話だ本当に。僕の腕が良くないばかりに、どうカメラを構えたところで同じような写真しか撮ることができない。あるいは景色がどこへ行っても同じだからか。まさに最盛期の紅葉。美しく、ため息をこぼし、シャッターを切る。しかし僕の技術では、この現れる風景たちの前では同じような写真が残るばかりだった。

 

 

 その風景は行きの列車のなかからすでに始まっていた。

 南会津をぐるりとサイクリングしませんか──。

 僕は輪行サイクリングの友人Uさんに声をかけた。快諾いただいたUさんにルートを提案し、日程を詰めた。偶然にも紅葉はピークを迎えていると知った。ただその日は12月のような寒さになる一日だと天気予報が告げた日曜日だった。

 朝いちばんの快速に乗った僕らは先頭の座席で降りる準備を始めていた。野岩鉄道会津高原尾瀬口駅。下今市から鬼怒川を通り川治、湯西川、五十里湖を大きな鉄橋でかすめ山あいに入っていくほどに車窓の色づきは深くなっていった。

 春日部ではいっぱいだった車内も徐々に乗客が減り、車内には光がたっぷり差し込むほどになった。それと同時にひと駅ごと扉が開いて入り込んでくる空気の冷たさを実感した。

 毎年そうなのだけど、この時期いつも「秋はいったいどんな恰好でサイクリングしていたのか、冬はどうだったのか」と思い出せなくなる。今日など秋を一気に飛び越えて冬の入り口の恰好をしなきゃならない──、それは状況としてはわかっていても何を着たらいいのか何べんも何べんも悩むことになった。

 

 会津高原尾瀬口駅で列車を降りた。ここまでの各駅で開く扉から入り込んできた風とは比べものにならない冷気。僕は思わず小さく震え、「寒いですね」と言った。「寒いです」とUさんも苦笑いした。最後のひと駅で野岩鉄道は栃木県から福島県に入る。県境に立ちはだかる峠も長いトンネルで越えてきた。関東地方と東北地方、空気も違うのかもしれない。

 手持ちのウィンドブレーカーを着るか着まいかしばらく悩んだ。でもこれから坂を上り、そして下ることを考えると最後の一枚を着こんでしまうことを恐れた。僕は真冬用ではない長袖ウェアを脱ぎ、下に着ていたヒートテックの上にフロントバッグに入れてきたTシャツを着た。スキーをよくしていたころ、寒がりの僕はTシャツを重ね着するといい、一枚着るだけでずいぶん違うし重さも感じない、そう教えてもらった。その上にもう一度長袖のウェアを着る。ウィンドブレーカーはたたんだまま背のポケットに入れた。

 Uさんが買いものをと入った売店で、レジを打つ男性と談笑している。僕も店内をながめつつレジに行く。「行くだけ行ってだめならあきらめて引き返します」とUさんが言っている。何のことだろうと聞くと、これから向かおうとする中山峠旧道が通行止めかもしれないと言うのだ。

「そうなんですか? 駒止峠は旧道が通行止めだと聞いたけど、中山峠もそうなのですか?」と僕は耳を疑って聞いた。中山峠旧道は今日のルートの目玉なのだ。

 どうだったのかわからんけど、通行止めの可能性が高いと言う。僕が調べた範囲ではそういう情報を得られていなかった。

「行きたいなあ。いいところですよね、中山峠」

「ああ、いいところさ。天気が良ければ煙が上る茶臼岳が見えるよ」

 とレジわきにいたもうひとりの男性が言う。

 僕は状況がどうであれ、旧道に行く気になった。

 

(本日のルート)

→ GPSログで見る

 

 中山峠は当時の田島町と舘岩村(いずれも現在南会津町)のあいだにある峠で、国道352号がこれを越えている。昭和56年に大きく南に迂回した現在の国道352号が開通するとこれまでの峠道は村道に格下げされた。西暦で言えば1981年だからもう35年。現在の国道352号は中山トンネルで村界を越えている。

 その旧道が閉鎖されたとは知らなかった。むしろ興味をかき立てる情報ばかりを収集し、机上で思いを馳せていた。だからこそ今回のルートに組み入れていた。Uさんもぜひ行きたい道だと言ってくれた。僕らはGPSマップに仕込んだルートに従い、旧道に向かうことにした。かつては国道352号であったその旧道は会津高原尾瀬口の駅前で現在の国道352号から分岐している。入り口はわかりやすい。

 道は初めからセンターラインなどなく、初めから上りだった。点在しながら民家もある。畑をやっていたり、ログハウスふうの家もあった。

 坂はつらくなるほどきつくはなかった。一定速度でのんびりと、話をしながら上っていく。と、あるカーブを越えてから道は木立のなかに導かれた。それは葉が黄や赤に染まった紅葉のトンネルだった。

 早速自転車を止め、写真を撮り始める。何か言いたかったのだけど言葉は「すごい」しか出てこなかった。

 ここから牛歩サイクリングが始まる。

 カーブを曲がるたびに息をのむほどの紅葉が現れ、僕らの足を止めた。色づきは木々によって微妙に違う。それがいちいち、映画のシーンのひとつのように映る。めくるめく、あるいはたたみかける、自然が繰り出す今日だけのスペシャルな台本だった。

 中山峠までどのくらいかかっただろう。おそらく出発から2時間近くかかっていた。距離は10キロにも満たない。坂は上りやすい誰にでも進めるような坂だったけれど、走って止まってを繰り返し、風景をながめ空気を感じ、写真を撮っているとそれだけの時間がかかってしまうのだ。

 残念ながら峠には中山峠を表す標識も碑もない。でも駅の売店の男性が言っていたように、那須に続く山やまがその山容を見せていた。茶臼岳がどれかは、残念ながら僕の知識ではわからなかった。

「──雪、ですよね、あれ」

 とUさんが言った。確かに、山稜に近い深い緑の山肌が白いスクリーントーンかぶせたように映った。

 

 ここへ来るには、残念ながら通行止めのバリケードを越えざるを得なかった。なるほど売店の男性が言っていたことは確かだった。バリケードはずいぶんルーズに置かれ、ずれたその一角は明らかに車の出入りもあった。しかし中山峠旧道は公には通行止めであった。

 

 それでも山やまが見せる本気の紅葉はこのバリケードの先にあった。途中軽バンとすれ違った。「この先ひどいよ」と言う。「越えられませんか?」と聞くと「自転車なら行けっかもしんねぇな」と言った。歩く人ともすれ違った。道路の管理者ではなくトレッキングを楽しんでいる人のようだった。「行くのかい? この先かなり大変だよ」「自転車じゃ越えられませんか」「んん、厳しいかもなあ」「担いでもだめですか」「担ぎゃ行けるさ」

 いずれも僕はUさんと顔を見合わせて笑う。

 僕もUさんも乗っている自転車はロードバイクだけど、ダート(砂利道等の未舗装路)を気にしない。むしろ楽しい道ならどんどん入って行ってしまう、ロードバイク乗りにはありえない指向性を持っている。だから僕は迷うこともなかった。同行者がほかのロード乗りの知人だったら引き返しただろう。

 

 それでも峠までは誰もが言うひどい状況には出遭わなかった。落ち葉が積もっていたり折れ枝が転がって車輪に絡まることはあっても、「こんなの全然平気ですね」と言ってむしろ楽しんで進んでいった。

 

(中山峠への旧道)

 そんな調子でいつものように時間も気にすることなく進んでいた僕らだったけど、中山峠を越えた先は予想以上の展開が待っていた。峠の向こう、旧舘岩村側は待望の下り坂であるのに、早々に自転車を降りる羽目になってしまった。

 それでもはじめのうちは、こういうところもあるんだろうと自転車を降りたついでに写真など撮りながら休憩半分、手ごわい路面だけ押して歩いてまた乗っていた。しかしその時間はやがて下りの大半を占めるようになった。

 道路を埋め尽くしている落ち葉はその下の路面を覆い隠している。落ち葉の下は舗装面の朽ち果てた道路だった。

 舗装がはがれているという生やさしいものではなかった。路盤の土と砂利、ときに大きな石も露出している。舗装のはがれは路面を直線的に縦断して路盤をあらわにしていた。

 舗装面と路盤との段差は大きく、そこにはまり込んで転びそうになるし、路盤の土と泥はロードバイクのスリックタイヤではまったくグリップしてくれなかった。僕はじっさいにハンドルを取られて転倒もした。転んだのなんていつ以来だろう。

 舗装面のはがれは見る限り、昨日今日今シーズンというものではなさそうだった。地震で地割れしたものでもないし、雨で土砂が流入してきたものとも見えない。その形状は長い時間、水が流れて最終的に舗装面を流し切ってしまったのだと見受けられた。アスファルトは長い時間かけてかかる力に弱く、水がここを流れと決め、流れが絶えることもなかったのだとすると、出来上がってしまった水流によって舗装面がもぎ取られてしまったのだろう。舗装面が残っていないことからも、水で流されていったことが想像できる。じっくりと時間を使ってえぐり取られた舗装面は、のちも放置されて時間が相当たっているようだった。

 倒木もあった。もうこれで車の通行はアウトだとわかる。道を完全にふさぐように倒れていて、ジムニーであってもまたぐのは困難だと思えた。

 谷側の路肩の崩落もひどい。何箇所も路肩が欠落していて、これもまた四輪の通行する幅員は残されていないと直感できた。ここを通り抜けられるのはオフロードバイクだけだと実感した。もちろん自転車はMTBであれば何とかなるだろう。それにロードバイクの僕らもこうして押しながらではあるけれど旧峠越えをしているから、降りて押すことを問わなければ何とかなりそうだ。

 

 そしていよいよそれは現れた。

 軽バンを走らせてきたオジサンが「抜けられるかどうかわからない」と言っていた、ハイカーのオジサンが「担げば行けるさそりゃ」と言っていた、その場所だった。

 山側斜面が大きく崩落しその土砂が道路を埋め尽くしていた。

 僕らは自転車を担ぎ、土砂の上を一歩ずつ上って越えた。土砂の上に木が天に向かって何本も伸びている。まさか、道路上に流れ出してうずたかく積まれた土砂に根を張り、この土に頼って天に向かって伸びたのだろうか。──いったいいつごろの土砂崩れなのだろう。何年もこの状態で放置されているようにさえ見える。

 

(損壊や崩落、土砂流入で荒れ果てた林道を進んでいく)

 それでも僕らが進み続けた原動力はこの風景と紅葉だった。眺望が広がったときの絶景に絶句し、さまざまな色づく木々によって繰り広げられる紅葉物語にため息をついた。すごい、ばかりが口をついた。

 押して歩き、担いで上り下りし、立ち止まって写真を撮る。開けたところに出ると自転車を置いて上ってみる。中山峠までの前半は東の山々、栃木県の那須を中心とした風景、そして中山峠を越えたあとは西に広がる山々。こちらはあまり詳しくないが、さっきまでとは違った絶景とその山やまの山容に圧倒された。

 やがて少しずつ乗れる距離が増えてきて、旧道は会津高原たかつえスキー場へ向かう直線道路に合流した。やっとだ。これでもう道路は安心だ。ここまでの距離は15キロ。しかしこの峠越えの上り下りに3時間もかけてしまった。

 さあ、急ごう。まずは前沢曲家集落を目指そう。

その2へつづく

 

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